生徒も先生も苦しめる「ブラック部活」はなぜなくならないのか。早稲田大学スポーツ科学学術院の中澤篤史教授は「戦後の部活は『生徒の自主性を育てる』という教育的理念を期待された。現代においてそうした理念は嘘っぱちのフィクションであるはずなのに、それに振り回され苦しめられている」という――。
学校のGYMでバスケットボールをしている日本の中学校の女の子の友達。
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そもそも「部活動」の定義とは何か

「生徒の自主的、自発的な参加により行われる部活動」

これは、国が定めた学習指導要領の中で示された部活の定義だ。部活は「自主的」と書いてある。

「ん? 部活が自主的だって?」と驚き呆れた人もいるだろう。いまや部活には「自主的」とは真逆の「強制的」「義務的」といったネガティブな印象が付いて回っている。

活動に強制参加させられた生徒が、練習と称した苛酷なシゴキで怪我や事故に巻き込まれたり、顧問による体罰・暴力で傷つけられたりする事例は珍しくない。だが、問題は生徒側だけではない。教師も、強制的に顧問をさせられたうえ、指導や引率で土日も休みが取れず、挙句見合った手当すらもらえない境遇が常態化している。生徒も教師も苦しんでいるこのような部活は「ブラック部活」と呼ばれている。このような状態の部活のどこが一体自主的なのか。

筆者は部活と自主性を結びつける国の学習指導要領に無理があると思っている。「自主的な部活をめざそう」「生徒の主体性が大事だ」「生徒の自治に任せよう」などと手垢のつくほど繰り返されてきたフレーズも嘘くさく思えてくる。

本稿は、この「自主性」というキーワードに着目しながら、部活改革の手がかりを探してみよう。