「コーヒーになります」はなぜおかしいのか

私自身は違和感を覚えつつ、新たな敬語として定着する予感がしている用法が「~になります」です。

たとえばカフェの店員が飲み物を持ってきて「コーヒーになります」。この用法を聞くと、「コーヒーになる前はいったい何だったのか」と突っ込みを入れたくなります。コーヒーはずっとコーヒーですから、この使い方は誤用です。

正しい言い方は「コーヒーです」。それでは冷たい印象を与えないかと不安を感じるのであれば、「コーヒーでございます」と、丁寧語を使用するべきです。

では、ほかにも相応しい言い方があるのに、なぜ「~なります」と言ってしまうのか。それは「です」と「ございます」の間に距離があり、中間の言葉がないからです。「です」では丁寧さが足りない気がするものの、「ございます」では丁寧すぎて肩が凝る。そうした感覚から「~になります」を、丁寧語のように使う新たな用法が広まったと推測します。

実は方言には中間の敬語がいまも数多く残っています。たとえば大阪なら「コーヒーでおます」。京都なら「来た」と「いらっしゃった」の間に「来はった」という表現もあります。どちらも丁寧ですが、同時に親しみも感じられて、使い勝手がいい。

古くから使われている方言にいい塩梅の敬語があるのは、人々がその言葉を必要としていたからにほかなりません。一方、標準語とは後からつくられた言葉です。つくられたときに人々のニーズをすべて掬い取ったわけではなく、まだ歴史も浅い。そう考えると、「コーヒーになります」という用法は今後、少し丁寧な表現として定着していくのかもしれません。

このように、ある用法が失礼かそうでないかは人々の受容度によって自然に決まっていくものです。その点で逆に疑問を感じてしまうのは、マナー講師が流布させる言葉の“謎マナー”です。

代表的なものとして、「目上の人に『了解しました』は失礼。『承知しました』と書くべき」があります。こうした謎マナーが広がるのは、メールという表現媒体がまだ新しく、相応しいコードが確立していないからでしょう。手紙なら冒頭に「前略」「拝啓」と書くことがコードとして定着しています。しかし、メールのコードは過渡期であり、まだ固まっていません。そこにマナー講師の謎マナーが入り込んだ構図です。

マナー講師が正解とは限らない

メールよりさらにカジュアルなメッセージアプリやSNSでは、「了解」どころか、「りょ」や「り」と表現する人もいます。マナー講師は失礼だと怒るかもしれませんが、多くの人が使って定着すれば、それが新たなコードになる可能性もあります。権威あるマナー講師が「正しい表現はこれだ」と押しつけるより、そうやって人々が使って、自然発生的に広がったもののほうが最終的には定着するのではないでしょうか。

極論すれば、敬語に迷ったら流行りのAIチャットボット「ChatGPT」に聞けばいいのです。AIはその言葉が学術的に正しいかどうかを判断してくれるわけではありません。しかし、みんなが受容している用法を集約して、スタンダードとして提示してくれます。多少の間違いが含まれるかもしれませんが、マナー講師の押しつけよりもずっと人間的であり、私には好印象です。