考えてみてください。村上春樹やドストエフスキーの何千枚にも及ぶ小説が読者の心をとらえるのは、安易に結論を出さないからです。うんざりするほど考えに考えを重ねて、迷いや矛盾を見せてくれるから人々は感動するのです。

もちろん書きたいテーマ、つまりどのような問いを持つかは重要です。しかし、最初から問いに対する答えを用意する必要はありません。全体の構成にとらわれずに、まずは書き始め、そこから思考を広げたほうが読ませる文章になるはずです。

「自分だけの言葉」がいい文章

人を感動させる必要はない、とにかくわかりやすい文章を書きたいというニーズもあるでしょう。その場合は逆に基本の型──たとえば起承転結で書けばいい。読み手は途中で「よくあるパターンだ」と気づくと思いますが、よくあるパターンだからこそ落ち着いて読めます。

わかりやすさを重視するなら句読点や改行も意識したいところです。句読点や改行が少ない文章は、見た目が窮屈です。句読点は、朗読したときに息がしやすい箇所に入れます。朗読時に息のしやすい文章は、不思議と黙読したときにもいいリズムで読めるものです。

人の心を動かしたいとき、わかりやすく伝えたいとき、どちらの目的においても技巧に走るのはおすすめしません。たとえば印象深い書き出しにしようとして、文章をセリフから始める人もいますが、よほどうまくやらないかぎりは「相手を感動させたい」という意図が透けて見えてしまい、読み手を興醒めさせるだけでしょう。凝った書き出しは、わかりやすさという点でもマイナスです。

技巧よりも大切なのは、借り物ではなく、自分の中から湧き出た言葉で書くことです。野口英世のお母さんが息子に宛てて書いた手紙は誤字が多く、けっして流麗な文章ではありません。しかし、全文があきらかに自分の言葉で書かれており、それが迫力へとつながっていて、名文として語り継がれています。

自分の言葉を持ちたければ、とにかく普段から文章を書くことが大切です。たとえば憂鬱な日があれば、どのように憂鬱なのかを言語化するのです。やってみると、これが案外難しいのです。困って「言うに言えない気持ち」というような紋切型表現に逃げているうちは、自分の言葉を持てていない証拠です。

かといって新たに難しい言葉を覚える必要はありません。語彙には意味だけを知っている「理解語彙」と、使いこなすことができる「使用語彙」という2種類があります。日々文章を書いて言語化に努めると、理解語彙だったものが少しずつ使用語彙になります。わざわざ苦労してまで難しい言葉を覚えなくても、いま持っている理解語彙を使用語彙に移していくだけで十分に表現力は高まります。アウトプットを続けて、ぜひ自分の言葉を見つけてください。

(構成=村上 敬)
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