欽ちゃんが始めた先進的な番組

実際、萩本は、自らの番組ですでにそのような試みをしていた。『欽ちゃんのどこまでやるの!』は、欽ちゃんを父親役とする家族のコント的ドラマがベースで、その間に挟まる多彩なミニコーナーを、スタジオのセットにある欽ちゃん家のテレビで見るという設定になっていた。それはまさに、「ドラマと笑いがくっついた番組」だった。

君塚良一も、そこに構成および脚本として携わった。そして君塚もまた、同様のジャンル横断的な番組を担当するようになった。

例えば、明石家さんまが主演の『心はロンリー気持ちは「…」』シリーズ(フジテレビ系、1984年放送開始)などがそうだ。

このドラマは恋愛ストーリーがベースだが、それとは無関係に明石家さんまならではのギャグや小ネタがこれでもかと画面の至るところに仕掛けられていた。

冬彦さんブームを起こした『ずっとあなたが好きだった』

君塚は、大岩賞介とともに、この番組に脚本として参加した。こちらは、ドラマの側から笑いとの融合を目論もくろんだ作品と言えるだろう。こうしてドラマ脚本の依頼も徐々に増えるなかで、社会現象的な人気を博したのが、『ずっとあなたが好きだった』(TBSテレビ系、1992年放送)である。

写真=TBSチャンネル「ずっとあなたが好きだった」オフィシャルページより
写真=TBSチャンネル「ずっとあなたが好きだった」オフィシャルページより

賀来千香子主演で、結婚した女性が昔の恋人への思いを断ち切れずに悩む。こう書くとよくある不倫恋愛ものだが、賀来のマザコン夫役を演じた佐野史郎と姑役の野際陽子の怪演が話題となり、佐野の役名から“冬彦さん現象”と呼ばれるブームになった。

君塚良一は、連続ドラマの執筆はこれが初めてだった。途中で本来は敵役であったはずの「冬彦さん」が異常な人気になり、当初考えていたストーリー展開を変更せざるを得なくなった。そのなかで、君塚は、視聴者の期待に応えるべく「冬彦さん」の描写をエスカレートさせる一方で、夫婦というものを通じてひとに愛情を注ぐことが難しくなった現代という時代を描こうとした(同書、128-140頁)。

刑事ドラマの常識を覆した『踊る大捜査線』

“冬彦さん現象”こそ君塚良一の意図したものではなかったが、その脚本には、お決まりの恋愛ドラマのパターンに従うことを好まない、彼一流のリアリティ志向があった。

冬彦のマザコンという設定も、離婚経験者にインタビューしてリサーチした際に聞いた実際の体験談から生まれたものだった(同書、132頁)。

このステレオタイプを嫌うリアリティ志向は、1997年放送開始の『踊る大捜査線』(フジテレビ系)で、さらに大きく実を結ぶことになる。

この作品は、刑事ドラマの従来の常識を覆すものだった。刑事ドラマのベースにあるパターンは、数あるドラマジャンルのなかでも最も強固なもののひとつだろう。「なんらかの事件が起こり、刑事の活躍によって最後は真犯人が逮捕される」という基本パターンを崩すのは至難の業だ。

しかし、君塚良一は、その常識をあえて破ろうとした。

まずプロデューサーの要望が、「今まで観たこともないような、まったく新しい刑事ドラマ」だったことも背中を押してくれたが、君塚を最終的に勇気づけてくれたのは、萩本欽一が常々言っていた「つねに冒険せよ、つねに実験せよ」という言葉だった。(同書、16-17頁)。