「常識がぶっこさわれる」本当のダイバーシティを実践

インド、パキスタン、インドネシア、タイ、台湾、中国、韓国、シンガポールほか、シリコンバレーには世界各国からさまざまな人々が集まっている。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、その他の宗教、そしてそれぞれの宗教に属す無数の宗派。また宗教とは別に、それぞれの文化がある。これだけ多様な人種、宗教、文化を持った人々が集まると「常識」というのがぶっ壊される。

オフィスワークステーションで同僚と会話
写真=iStock.com/Edwin Tan
※写真はイメージです

私は日本の田舎町で、しつけにかなり厳しい家庭、そして学校で育った。真面目な私は、大学に入るまではお化粧をしたこともなければ、マニキュアもパーマも未経験だった。

アメリカの大学院に行くことになった時、母に「ピアスするのは絶対止めてね」と見送りの成田空港で言われたことを覚えている。

反抗期が遅かった私が22歳にして勇気を出して実行したことは、アメリカに留学して早速ピアスをすることだった。

ところが、娘の保育園の友達のインド人の子どもたちは、3、4歳だというのに、ピアスをしているではないか! それは宗教上の理由や、風習なのだという。

娘が4、5歳の誕生日には子ども用のマニキュアをプレゼントされるようになった。子どもがマニキュアなんてと思ったが、みんな塗っているので、娘も自然と塗るようになった。

娘が小学校に入ってカリフォルニア州の学力テストを受ける時には、先生が子どもたち全員にチューインガムを配り、ガムを噛みながらテストを受けるようにと指導していたので腰を抜かした。

ガムを噛んだほうが集中力が高まるからという理由らしいが、日本の学校で授業中にガムを噛もうものなら、校長室行きぐらいの重めの罰を受ける。

日本も変わりつつあるが、少なくとも数年前に娘が体験入学でお世話になった日本の小学校では、給食は残さず食べるものと指導されていて、給食の時間が憂鬱だったと娘は言っていた。

私のシリコンバレーの友人たちは食習慣も本当に様々だ。ベジタリアン、ビーガン、豚肉はダメなど多種多様。給食を残さず食べろなんてルールは、当然押し付けられない。

「違って当たり前」が自己肯定感を育む

これだけ多種多様な人々が一堂に集まって生活すると、いわゆる「常識」というものがなくなる。そして、「自分らしく人生を謳歌する」という人生の本質に照らし合わせると、自分が「常識」だと思っていたことがいかにつまらない、どちらでもいいことだったのだと分かる。

違っていて当たり前の世界では、とても自然に自分が自分のままでいられる。こうでなければいけないという基準もないし、その基準に合っているかどうか意地悪く人を観察してジャッジしてくる人も少ないからだ。

同じアメリカでも、移民が少ない地域、黒人がたくさん集まっている地域、白人が多い地域などもある。ちょっと変わった日本人の私が私らしく暮らすには、多種多様な人種が集まるシリコンバレーはちょうどいい。

世界中から優秀なエンジニアたちが集まってくるシリコンバレー。個性、自由な発想、そして行動力が重んじられるこの場所には、「自分は自分のままで大丈夫」という鋼の自己肯定感を持った人々が集まっている。

実は、その陰には無数の「失敗」があるのだけれど、誰も「失敗」を責めないし、「失敗」を「失敗」と思っていない人々が、次の時代を担う新しい製品、サービスを次から次へと生み出していく。

鋼の自己肯定感を育てるシリコンバレーの習慣は、私たちの参考になる部分も多い。実践できそうなものがあれば、取り入れてみてはいかがだろうか。

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