一人ひとりの脳内にある「認知と連想」

【阿久津】次に知っておきたいのは、その連想はどのようにして生まれ、どこに保管されるのかです。例えば、お菓子のブランドにとって、「おいしい」という連想はブランドの価値を向上してくれるものだと思います。で、その連想は、そのお菓子を食べてみての感想として生まれるものであり、お菓子そのものの価値に起因する連想と言えます。

一方、このお菓子は皇室御用達だという連想もブランドの価値を向上してくれるものだと思いますが、その事実を知らせるニュースによって生じるものであり、お菓子そのものではなくその背景情報に起因する連想です。そのお菓子を食べれば、おいしいかどうかはわかりますが、それだけでは皇室御用達かどうかはわかりません。

おいしいという連想は基本的にお菓子という製品そのもののマネジメントによって生み出すものですが、皇室御用達のような連想は製品のマネジメントを超えた広報やマーケティング活動によって生み出されます。だから、製品という枠組みを超えたブランドという枠組みで管理したほうがよい。

先ほどの「認知と連想」は、どちらも人の脳内活動によって生み出されるもので、手で触れられる有形のものとしては存在しません。ブランドが存在するのは、人の心の中もしくは脳内です。二つ合わせて、私は「心脳」と呼んでいます。

その「心脳」にブランドの「認知と連想」は存在する。つまり私たち人間一人ひとりに内在するわけです。製品価値の源泉は製品そのものの中にあるという理解とは対照的に、ブランド価値の源泉はそれを問う私たち一人ひとりの中にあるという理解になります。

地元企業の最適な「メディア」がサッカークラブだった

【阿久津】藤枝の事例に引きつけていえば、スポンサーだった住宅メーカーさんからすると、自分たちがビジネスをしている地域と全然違う地方に住む小学生が藤枝の試合を見てその住宅メーカーさんの名前やロゴに触れても、ほとんど意味がないですよね。しかし営業地域の、市役所や学校の職員という潜在顧客にピンポイントで会社を認知してもらったり、よいイメージを抱いてもらったりすることができたから、彼らはビジネスで成功した。

その時、住宅という彼らの製品そのものは何も変わっていないわけです。ブランドマネジメントの観点からは、誰の心脳の中にどんな連想を持つブランドを構築するのかまで考え、広告やスポンサーの仕方を決めてしかるべきということになります。

【小山】すると、ぼくらの立ち位置、つまりサッカークラブはどういう存在になるんですか? サッカークラブがブランド価値を持っているということでしょうか?

【阿久津】先ほどの事例で問題になっているのは、藤枝というサッカークラブのブランド価値が高いか低いかではなく、スポンサーである住宅メーカーのブランド価値を、そのメーカーが望む形で高めることができる「メディア」であるかどうかです。だから、その住宅メーカーさんにとって、小山さんが掲げていた地域へ貢献したいというミッションやビジョンは、スポンサーをするかどうかの判断にあまり関係がなかったわけです。

【小山】え、そうなんですか?

小山淳、阿久津聡ほか『弱くても稼げます』(光文社新書)
小山淳、阿久津聡ほか『弱くても稼げます』(光文社新書)

【阿久津】あまり関係がなかったと思います。住宅メーカーは、彼らの顧客層の人たちに会社を知ってもらい、よい評価をしてもらうためのメディアを探していたのだと思います。費用対効果も考えたうえで、最適なメディアを探していた。

【小山】それが地元のサッカークラブだったと。

【阿久津】そうです。ただし、「ここをスポンサーしているのだから、ちゃんとした会社だ」という見た人の推論からの連想が生まれるためには「ここ」、つまりこの事例でいえば藤枝というサッカークラブがちゃんとしていないといけない。きちんと運営されているクラブである必要性はもちろんあったわけです。そういう意味では、小山さんが掲げていたクラブの立派な理念は関係していたわけですが、あくまで間接的な関係に留まっていますよね。

【小山】なるほど、大変勉強になります。

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