糸井重里さんが社長を務める「ほぼ日」は2020年秋、青山から神田に引っ越した。新オフィスの近くには「ほぼ日の學校」の収録スタジオを設け、動画配信事業に乗り出した。なぜ「学校」を始めたのか。なぜ神田なのか。糸井重里さんに聞いた――。(前編/全2回)
ほぼ日社長の糸井重里さん
撮影=西田香織
ほぼ日社長の糸井重里さん

4時間の山道を歩かせる力が「学校」にはある

——ほぼ日が、なぜ「学校」を始めるのでしょうか?

【糸井】教育はいわば空気から何かを取り出すような、原材料のなさそうな産業ですが、それがつくってきたものが世の中のほとんどすべてだな、と思ったんです。

何かしようと考えようとすると、いろいろなものが学校にぶち当たるんです。たとえば僕らの友達で自国のネパールに学校をつくっている青年がいます。彼は小学生のときに特待生に選出され、国のお金で首都の質の高い教育を受けることができ、日本の大学に留学してソフトバンクに入社したのですが、自分がそうした機会を得られているのは教育のおかげだと思って、恩返しをしたいと自前で学校を作ったんです。

僕らも彼が二つ目の学校をつくる手伝いをしていて、産業がないけど教育があれば人々は立ちゆくんだということを目の前で見せてもらえた。ネパールの子どもたちは、4時間ぐらい山道を歩いて学校へ通うんだそうです。そこまでしても行きたいと思わせる力が学校にはあるんですよね。

一方で日本の学校には、「次の授業、サボるか」と言っている大学生もいる。でも、授業料を時間で割ると1時間6000円だそうです。普段は数百円で「高い!」と言っているのに、6000円を無駄にしても平気なんですよ。なぜかというと、最終的にお免状さえもらえればいいから。僕らはアンチテーゼとして学校を始めたわけじゃないけど、お金や時間の使い方はそれじゃないよなというようなこともあって。

シェイクスピア、歌舞伎、万葉集などをやってみたけど…

じゃあ僕はどうだったかというと、大学に入ってすぐ辞めてしまっているんです。かわりに何で学んだのかと言ったら、基本的には人でした。人が言っていたこととか人が興味を持ったことを後から追いかけていって、それが学びになった。

いまは、どうやったらよけいに稼げるかという本ばかりが出ていて、みんな自分の能力をどう発揮して給料を上げるかという方法については学ぼうとしています。それも人に会う機会がないからですよね。普段会っている人にしか会わず、何かのランキングの上から見て、学べと言われたものしか学ばない。このまま自分を大きく育ててくれるものを学ぶ場所がなくなっていいのかな、それは弱ったな、と。

ほぼ日の學校のパンフレット
撮影=西田香織

そういういろんな要素が川の流れのように学校をやるという行動に連なっていったイメージです。いつごろから学校を意識したのかは定かではないですが、やっぱりやってみなければ考えが進まないので、ほぼ日のオフィスがまだ青山ににあった2018年から「ほぼ日の学校 ごくごくのむ古典シリーズ」というのを始めました。シェイクスピアや歌舞伎、万葉集などを取り上げてきましたが、「もっとみんなの学校にしていかないといけない」という問題意識が浮かぶようになって、今回アプリでリニューアルした「ほぼ日の學校」につながっていきました。