サントリーが、ビール事業を始めたのは63年。実に46年目の快挙といえよう。なお、ビール事業の規模は約2000億円。サントリーのある幹部は「本当はもっと早く、遅くとも10年ぐらいで黒字になるだろうと始めたのです。それにしても、長くかかりすぎましたわ」と自嘲気味に話すが、その表情は明るい。

46年目にしての黒字化、そして3位浮上を牽引したのが、森山が挙げる「ザ・プレミアム・モルツ」だった。

「高級な旅館や飲食店に勧められる商品を得たのが大きかった。ご提案ができるし、さまざまな作戦を立てられる。商品で現場はガラッと変わります」と森山。

60余年の歴史を持つ「味樂亭三桝家」は落ち着いた趣を持つ料理自慢の宿。
60余年の歴史を持つ「味樂亭三桝家」は落ち着いた趣を持つ料理自慢の宿。

84年1月7日、大阪の近鉄花園ラグビー場。第63回全国高等学校ラグビーフットボール大会の決勝戦は、奈良県代表の天理高校と大分県代表の大分舞鶴高校の戦いとなった。

試合は最後までもつれ、天理リードのまますでにロスタイム。ところが、予期せぬことが起こる。天理SOの森山が、まさかのミスキック。ボールを拾った舞鶴フォワード(FW)がそのまま持ち込んでトライ。この時点で、得点差は縮まり18対16に。舞鶴のキッカーがコンバージョンを決めれば、同点で両校優勝。

しかし、少年が蹴った楕円球はポールの左側へとそれていく。次の瞬間、主審は英アクメ社製のホイッスルを吹いた。鈍重な長い響きがスタジアムを包み、勝者と敗者の区別を壊す。

ミュージシャンの松任谷由実は、このラストシーンから名曲「NO SIDE」をつくったと言われている。

森山はこのとき3年生で副将だった。

「あの大会で、自分たちは負けるはずない、いや、負けないと信じていました。なぜなら、全国のどの高校よりも、たくさん練習をしていたから」

このときの思いは、実はいまの営業活動でも変わっていない。

「土日だって働けますよ。1000日続けて働きます。3年前、40度の熱を出してしまいちょっと休みましたが、僕は働き続けられるのです。苦しいとか、辛いとか、思ったことがない。ラグビーのおかげで、肉体的にも精神的にもタフなんですよ。ええ、そうです。勝つためです。ライバル3社に、営業で」

ラグビーは集団性が強いスポーツだ。野球やサッカーよりも多い15人で戦う。優秀な選手だけ集めても、勝てない。チーム力、組織力が求められる。

優勝したときの天理高校の主将は、FWの選手だった。主将はいつも、チームを情の部分で奮い立たせていた。対して副将の森山は、いつも冷静さを貫いていたそうだ。敵の15人と、味方の14人を絶えず観察し、司令塔として理性的にゲームをコントロールしていたという。

主将と副将とで、それぞれの役割が決まっていたのは、ポジションの問題ではない。チームの中で、おそらくは人柄から役割が暗黙に決まっていたのだろう。