品質に自信あり!4社試飲で選ばれる

「味樂亭三桝家」の女将、若女将とは定期的に会い商談する。扱いが始まったプレミアムモルツの販売状況や宿泊客の評判を丹念に聞き出していく。
「味樂亭三桝家」の女将、若女将とは定期的に会い商談する。扱いが始まったプレミアムモルツの販売状況や宿泊客の評判を丹念に聞き出していく。

いまの森山も、気合と根性とで“押す”だけではない。理に基づく戦術を尽くし、冷静に行動して営業成果を挙げている。

4年ほど前、横浜の大型店をプレモルで攻略した。まず、店長は商品を認めてくれて、ライバル社のビールから切り替えると約束してくれた。が、ほかのスタッフは、切り替えに消極的だったそうだ。

そこで、森山は4社の代表的なビールを店に持ち込み、ブランド名を隠したままコップに注ぎ、全員に飲んでもらった。もちろん、温度を同じにしてである。

するとどうだろう、人気投票をしてもらったところ、プレモルが圧勝したのだ。反対者は、誰もいなくなっていた。

天理大学でもラグビーに明け暮れたが、本当は大学でラグビーをやめようと考えていた。中学か高校の体育教師になりたかったためだ。

「子供が好きでしたから。教師として指導者になるかもしれないけれど、選手はもう引退しようと決めていました」

しかし、採用試験は狭き門。教員になる夢は、叶わなかった。

社会人チームから、当然のようにいくつものオファーがあり、その中からサントリーを選ぶ。「生産管理などで機械を相手にする仕事より、営業で人を相手にする仕事がしたかったから。ただ、選手を引退したら関西に異動させてくれる約束だったのですが、どうも話が違うんですよ。ずっと東の営業です」などと笑う。

入社後、ラグビーだけをやっていたわけではない。一般社員と同じ条件で働く。仕事の空いた時間を利用して集中して練習に励んだ。94年に東京北支店の営業に移ってからも、同じだった。板橋区の酒屋を回り、練習をする。シーズンともなれば、週に1度の試合に出ていた。

引退後は埼玉の大宮支店を経て、激戦地、横浜支店に赴任。04年春だった。

実は、夫人と出会ったのは、営業先である横浜のバー。夫人は学生時代にこの店でアルバイトをしていたため、社会人になってからも頻繁に遊びにきていた。

会話を交わすようになったものの、森山には結婚の意思はなかった。彼女とは一回り年齢が違う。大人の常識を持ちながら、冷静に接していた。

しかし、12歳年下の彼女が発した一言がすべてを変えてしまう。

「敬太さんは、私と結婚したら、絶対幸せになれるよ」

ゲームの流れを一変させる必殺のタックル、いや、カウンターアタックによる逆転トライを喫した思いを森山は味わう。

3年前に結婚。09年1月には、待望の第一子が生まれる。「僕は子供が大好きなんです。本当にうれしい」と目を細める。夫人とは3年間で一度もケンカをしたことがないとか。夫人は、仕事人・森山をしっかりと支えてくれているようだ。