「みんな」がいつも正しいとは限らない

だが、集団の知恵や予測市場を支持する人々にとって、忘れてはならない重要な条件がひとつある。コンドルセ自身が注意を呼びかけているように、彼の定理は集合的意思決定のマイナス面も浮き彫りにしている。

集団内の比較的少数の人しか正確な情報にアクセスできないために、集団内の個々人が間違った答えを選んでしまう可能性が50%を超えていると仮定してみよう。その場合、その集団の過半数が正確な判断を下す確率は、集団の規模が大きくなるにつれてどんどんゼロに近づくのである。

予測市場がときとして失敗するのは、まさにこのためだ。たとえば、ブッシュ大統領が連邦最高裁判事に誰を指名するかという予測では、予測市場の成績はきわめて悪かった。公式発表のおよそ2時間前まで、今や連邦最高裁長官となっているジョン・ロバーツの存在を、市場は事実上、知らなかったのだ。彼が指名されるわずか1日前、ある有名な予測市場でのロバーツ判事株の終値はわずか0.19ドルだった。つまり、ロバーツが指名される可能性は1.9%しかないと予測されていたのである。

「みんな」がなぜこれほど間違ったのかというと、それは彼らが判断を下すための正確な情報をほとんど持っていなかったためだった。これらの「投資家」は、いくら大勢が寄り集まっても、ブッシュ政権内部の動きについてはまったくといっていいほど知らなかったのだ。

同様の理由で、イラクで大量破壊兵器が見つかるか否かについても、パトリック・フィッツジェラルド特別検察官が2005年末にカール・ローブ大統領次席補佐官を起訴するか否かについても、予測市場は完全に間違った判断を下したのである。

企業や政府には、この点に注意していただきたい。組織の中に大量の分散情報がない場合には、組織のメンバーの意見に頼るのは賢明な策ではないのである。たとえばコンピュータ会社の幹部なら、自社の開発中の製品がいつ完成するのかを知りたい場合には、社内の予測市場に頼ることができる。だが、競合他社の製品がいつ完成するかについて、マネジャーは社員の意見を聞くべきだろうか。それはけっしてよい賭けとはいえないだろう。

集団がその問いについての関連情報をほとんど持っておらず、そのため大方のメンバーが判断を誤ると思われる場合には、彼らの判断を無視して専門家の意見を聞くのが最善の策である、ということができるだろう。

(翻訳=ディプロマット)