混乱する時代を生き抜くには、どうすればいいのか。ヒントは戦国武将の言葉にあるかもしれない。NHK大河ドラマ『真田丸』で真田昌幸を演じた俳優の草刈正雄さんは「真田昌幸の台詞は、すべてに『生きよ』というまっすぐな願いが込められていた」という――。

※本稿は、草刈正雄『人生に必要な知恵はすべてホンから学んだ』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

上田城と桜(長野県上田市)=2019年4月13日
写真=時事通信フォト
上田城と桜(長野県上田市)=2019年4月13日

大切な人を支えるのに、これ以上の言葉はない

僕だけではありません。『真田丸』の撮影現場では、皆さんが生き生きしていました。

こんなことがありました。ドラマのなかで、真田家特有のスキンシップが生まれました。互いの頰をパンパン、ペチペチと叩いて無事を確かめ合う。あれは、“ゴッドマザー”ばば様役の草笛光子さんが始めたんです。ばば様とりは、武田信玄にも認められていたという、真田家のルーツを支える肝っ玉ばあさんです。

草刈正雄『人生に必要な知恵はすべてホンから学んだ』(朝日新聞出版)
草刈正雄『人生に必要な知恵はすべてホンから学んだ』(朝日新書)

「ちょっと、西洋っぽくなっちゃうかしら?」

草笛さんのやんちゃな目が光ります。いやいや、面白いです、やりましょう! 一家で一気に定着しました。昌幸の正室・薫を演じた高畑淳子さんもやれば、僕も息子にやればで、そのうち皆でハグしたりペチペチし合ったり。のちに大河ファンの方々から、「頰ぺち」と名付けられたと知り、嬉しくなりました。戦国時代にそんなスキンシップがあったかって? わかりません。現代でもやるウチはやるし、やらないウチはやりません。戦国の世もきっと、そうでしょう。“三谷真田丸”でも自然発生でしたからネ。

ドラマが回を重ねるごとに、家族劇としての魅力も反響を呼びました。ばば様臨終の回、床に臥すとりの周りに家族が集結します。

〈寂しいのは御免だ〉

とりのひと言に、昌幸は「瓜売」の商人の芸を見せようとする。味よ~しの瓜~……。

〈うるさい!〉

一喝するばば様。それによってゴッドマザー魂が蘇り、最期は見事な遺言に。

〈たとえ離れ離れになっても、真田はひとつ〉

戦国の乱世でも、令和の現世でも、大切な人同士を支える言葉として、これ以上のものはない。いまも、僕の耳に残り続けています。

「丹波哲郎さんの声」が支えてくれた

目に見えない家族にも支えてもらいました。丹波哲郎さんです。30年前の僕の親父(※)。『真田丸』の撮影に使われたスタジオは、『真田太平記』と確か同じでした。だからでしょうか、待ち時間にスタジオの隅で座っていると、丹波さんが上から降りてくるような気が何度もしたものです。

※草刈正雄さんはNHK新大型時代劇『真田太平記』(1985~86年)で真田幸村を演じた。その時の真田昌幸役が丹波哲郎さんだった。

「お前、この役ちゃんとやれよ。俺が本当に愛した役だからね。ちゃんと、ちゃんとだぞ」

という声が聞こえてくるわけです。あの声で。あの笑顔で。

丹波さんとは、NHK連続テレビ小説『走らんか!』(1995~96年)でも、親子として共演させていただきましたが、あのときも魅力全開で、いつも丹波さんの周囲には人が集まっていました。存在が大きくて、親父そのものなのです。丹波さんがそこにいるだけで、皆、安心できるんです。

そんな後ろ盾もあり、今回、三谷さんが描く人間味をおおいに放つ昌幸に、どこまでも挑戦できたのだと思います。

〈太閤殿下とわしと、どちらが好みか、言うてみよ〉

『真田丸』で昌幸は、じつは忍びの吉野太夫に溺れて、太夫の耳元でこんなことも言います。まあ、なんというか田舎親父まるだしですが、そこはかとなく愛すべき滑稽さで演じられたのも、丹波さんの励ましが耳に残っていたからかもしれません。