「気持ち」は自分の外からやってくる

このような考えを目新しいと思う方もいるかもしれませんが、私たちのふるまいや、考え、嗜好、さらには感覚や感情までも学習によって生まれてくると考える文化人類学において、これはごく一般的な人間の理解の方法です。

たとえば伝統的なポリネシアの社会では、女性がおっぱいを人前でさらすことはわいせつでもなんでもない一方、太ももを人前にさらすことは大変に恥ずかしいう考えがかつては存在しました。そればかりでなく、おっぱいに性的な魅力を感じるのは子どもだけで、大人になったらそんなところに魅力は感じないという見方もあったとか。

恥じらいとか、性的な興奮は、自分の意志とは関係なく生まれてくるどうにもあらがえないもののように思えます。ですが、そんな気持ちの中にすら、それぞれの文化が持つ価値観が滑り込むのです。

「やせたい」と思わせる環境から逃げればいい

とはいえ、「その気持ちは、ほんとうは外から来たものなんです、なんて言われてもどうしようもない。私のやせたい気持ちは変わらない」という人もいると思います。誤解しないでほしいのですが、私はみなさんのそのような気持ちを否定したいわけではありません。また「やせたい」と思うことがよくないというつもりもありません。

磯野真穂『ダイエット幻想』(ちくまプリマー新書)

ただ私たちは、「朝から晩まで体重のことしか考えられない」、「太ることが怖くて、楽しく食事もできない」といったように、「やせたい」という気持ちにしばしばがんじがらめになることがあります。私はこのような人たちに、《「やせたい」と思わせる環境から逃げればいい》というメッセージを送りたいのですが、気持ちを自分だけのものだと思いすぎると、私たちをとりまく世界が、私たちの気持ちを作っているという現実に気づきにくくなり、逃げるという選択肢がみえにくくなります。

ですから私は、そのような状態を解きほぐすための1つの方策として、「やせたい」という気持ちの構造を、私たちと世界との関わりという点から見ていきたいのです。

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