長野では午前中に仕事を終えて温泉を楽しむことも
徳谷柿次郎(とくたに・かきじろう)

2年がかりで妻を「説得」

自分の意思で行動しやすい独身者に対して、家族がいると「同意」を得なければならない。夫婦2人暮らしで妻を説得して、東京と長野の二拠点生活に飛び込んだのが、WEBメディア「ジモコロ」編集長の徳谷柿次郎さん(35歳)だ。

徳谷柿次郎●都会っ子の徳谷さんは旅先の経験から田舎暮らしに憧れを抱くようになった。しかし奥さんを説得するまでには2年かかったという。二拠点目に選んだのは長野市の住宅街にある断熱もしっかりした現代的な住宅だ。

「仕事柄、全国を飛び回りながら、東京と長野の人生を同時にフルパワーで進めている感じです。いまでは妻も理解してくれています」

大阪市出身の柿次郎さん(ペンネーム)が首都圏に住まいを移したのは26歳のとき。千葉県浦安市(2年)→戸越銀座(東京都品川区、4年)を経て、現在は三ノ輪(台東区)に自宅兼事務所がある。東京の家は60平方メートルで月の家賃7万5000円と格安で、仕事も順調のため、「勢いに乗って」長野市に2軒目の「賃貸物件」を借りた。まもなく1年になる。

東海道新幹線の終着点・新大阪駅近くで育った都会人の柿次郎さんが、長野県と縁ができたのは5年前。30歳のときの1人旅(4泊5日)だった。

「それまでインドア派だったのに、いきなり薪割りを6時間させてもらいました。大地と一体化して斧を振り下ろす、武道に似た快感。そしてローカル線・大糸線からの車窓の景色を見ながら、好きな音楽を聴いていたら鳥肌がたったのです。夜は満天の星をながめるなど、人生で知らなかった感動を30歳にして味わいました」

この体験が現在も編集長を務める“どこでも地元メディア”「ジモコロ」の創刊につながったそうだ。実益も兼ねた柿次郎さん、どう奥さんを口説いて移住に同意してもらったのか。

「大阪府内とはいえ田舎で育った妻は、街育ちの私とは田舎生活への“憧れ濃度”が違いました。ただ、幸いにも家で過ごすのが苦痛でないタイプ。仕事も事務系でしたので『働かなくてもオレが稼ぐから』と宣言しました」