「カネ」につながる「コネ」を得られる閉鎖的なクラブ

そして、そこで良い成績を収めた後(たいていは数年働いてから)、学会などの場で関心分野の教授に能力を示し指導イメージが湧く程度に親交を深めることができれば、大学院からオックスフォードやケンブリッジに入ることは可能です。

すると、書籍『現役官僚の滞英日記』でも触れたように学内の夕食会などの場で知己を増やしつつ、卒業後もカレッジの同窓会ネットワーク内で強力な「コネ」を手繰っていくチャンスが一気に広がります。その縁の中で金融機関をはじめとした収入の良い仕事を見つけて「カネ」を儲けていくこともできるでしょう。

そうなれば、ビジネス上の付き合いを通じてエリートの紹介状を複数得て、閉鎖的なクラブに入会すること、そのための非常に高い会費を払うことも可能になってくるでしょう。入会後は、さらなる「カネ」につながる「コネ」を得られる、というふうに続いていきます。

このような「わらしべ長者」的連動性は、大学や企業などの組織側も明確に認識しています。また、この例のような「チエ→コネ→カネ」の道と同様に、「カネ(親の寄付)→コネ(名門大学)→チエ(一流の人々との交流から学習)」、「コネ(紹介でコミュニティに入会)→チエ(見聞を広げる)→カネ(ビジネスチャンス発見)」といった道も存在しているわけです。

「フェア」な成り上がり方とは何か

この点、日本はどうでしょうか。私は特に、「チエ」と「コネ」の関係に関しては日英間でとても興味深い価値観の違いがあると感じています。日本では、<ペーパー試験でのパフォーマンス競争において「能力」を示すのが透明で公平である。「能力主義」を前提に独力で未来を切り拓いていくのが誇り高い生き方である。「コネ」はどちらかというと情に訴えプライドを捨てて義理を消費しながら使う不透明で不公平なものだ>という価値観が、どこか強い気がします。(この価値観の淵源は、中国の隋の時代に、世襲官僚による腐敗を生みだした九品中正制を排して科挙を導入した経緯にも求められそうな気もします。)

しかし、前述のとおり、イギリス(少なくとも欧米)においては、「コネ」とは推薦者に自分を売り込む努力を伴い、勝ち取るものです。推薦者も自身の評判をリスクにさらさないように、「全人格的な能力」を審査します。パーティーで「偉い人」と出会って立ち話をして名刺をもらって、御礼の挨拶メールを送ってなんとか後日会いに行く。その時が勝負です。

そこで「こいつはダメだな」と思われたら、その先にいる有力者には紹介してもらえません。あなたに対する人物評価と、紹介してもらえる相手のレベルは比例します。水準(≒3つのキャピタルの積)が至らない人には相応のコネしか手に入らないわけです。ですから、面会の前には徹底した準備が必要になりますし、コネは「身内の情実」ではなく、ビジネス・ライクなマーケット原理の支配下にある「社会的な査定」として認識されているのです。

ペーパー試験で測れる教養やリテラシーのインプット量、書面上のアウトプット能力などは、「コネ」獲得能力の一部に過ぎません。口頭で短時間に相手によって柔軟にプレゼンテーションを行い、かつ相手からも心地よい議論を引き出して創造的な対話を導く、といったスキルはペーパー試験だけでは養えないのではないでしょうか。

先輩・後輩の共存共栄をプロデュースしている

こうした「コネ・マーケット」観に立脚するからこそ、オックスフォードとケンブリッジは、3年間寝食をともにするカレッジを拠点にして、名簿を丁寧に手入れし、世界中で小まめに同窓会的イベントを催すなど、強力な「コネ」提供戦略を展開して先輩・後輩、教員といった関係者間の共存共栄をプロデュースしているのだと言えましょう。

そして、この価値観は、随所に口頭試問があることや、学内のフォーマルディナーなど、隣席になった他人と知的で有意義な会話や出会いを重ねていく訓練機会が与えられていることなどとも無関係ではないでしょう。学生時代から、もう値踏みと学びの社交界が始まっているのです。