トランプ大統領のアジア歴訪は、北朝鮮との「口撃」の応酬に加え、米海軍の空母3隻を西太平洋へ展開して北朝鮮へ軍事的圧力を加えるなど、緊張した状態のなかで行われた。しかし、過去にはもっと緊張した状態で訪韓した大統領がいた。ビル・クリントン大統領である。

クリントン大統領がDMZを視察した時(1993年7月11日)の米朝関係は、今年の「危機」のようなメディアを動員して作りだされたものとは違っていた。クリントン政権時代の危機は「第1次核危機」といわれている。

クリントン大統領訪韓の約4カ月前である1993年3月8日、北朝鮮は米韓合同演習「チーム・スピリット」が2年ぶりに再開したことを受け、金正日が「朝鮮人民軍最高司令官命令第0034号」で「全国、全民、全軍に準戦時状態を宣布する」と宣言。国内が臨戦態勢に入った。「準戦時状態」が発令されるのは、全斗煥・韓国大統領暗殺を試みた「ラングーン爆弾テロ事件」以来10年ぶりだった。

4日後の3月12日には、北朝鮮は核兵器不拡散条約(NPT)からの脱退を発表し、核兵器の開発を継続することを明確にした。さらに5月29日には、日本を射程距離に収める弾道ミサイル「ノドン1号」の初めての発射実験を実施。弾道ミサイル開発を継続し、韓国以外の国家にも弾道ミサイルで攻撃する意思があることを示した。

カーター前大統領訪朝により危機は回避

このような厳しい情勢のなかでクリントン大統領はDMZを視察し、板門店共同警備区域の西端にある「帰らざる橋」まで歩き、「(北朝鮮が核兵器を用いれば)彼らの国の最後になるだろう」と強く警告した。

翌94年3月6日に板門店で開かれた「南北特使交換のための実務者会談」では、北朝鮮代表の朴英洙(パク・ヨンス)が「戦争になればソウルは火の海になる」と発言したことで、緊張はさらに高まった。

こうした状況を受けてクリントン政権は4月になって、北朝鮮への武力行使の具体的な作戦の検討を始めた。こうして米朝の緊張状態はピークに達したのだが、6月15日にカーター前米大統領が訪朝し、金日成との会談で「核開発の凍結」への合意を引き出したことにより、危機は直前で回避された。