僕が政治家時代に経験した「力を背景にした話し合い」とは?

いよいよ動き出した小池都政。小池百合子都知事は、もうそろそろ腹を括り始めなければならない。議会が嫌がるような改革を徹底してやっていくのか、それとも議会の嫌がるような改革はほどほどにしながら自分のやりたいことをやるために議会と協調していくのか。石原(慎太郎)、猪瀬(直樹)、舛添(要一)都政は後者だった。

後者が間違っているというわけではない。僕は前者だった。だから議会と対決をし、そして自ら新党を作った。どちらが正しいのかという話ではない。選択の話に過ぎない。議会協調型か、議会対決型か。

これは手段であって、きちんと東京あるいは大阪が良い方向に進めばいいだけだ。

ただ、議会もしたたか。今都議会が最も恐れているのは来年6月の都議会議員選挙。都議会も小池新党を結成されたらまずいので、協力姿勢を示すだろう。しかし6月を超えれば怖いものがなくなる。協力姿勢がなくなるのは明らか。これはほんと分かりやすいよ。

僕らも大阪都構想を進める際に議会との政治折衝に苦労した。メディアや学者、自称インテリは、話し合いをしろ!! しか言わかなかったけど、大阪都構想に、維新以外は絶対に反対。そんな状況で話し合いによって解決できるわけがない。「話し合いバカ」は、ISとの闘争を話し合いで解決してみろって言うの。まあISの問題は欧米の歴史的横暴さが起因していると僕は見るけどね。

元へ。大阪都構想は、最後は選挙で決着するしかない問題だと僕は見立てた。だからこそ、話し合いはするけど選挙態勢を万全に固めた。

僕が大阪市長になり、松井一郎大阪府知事が誕生した2011年のダブル選挙。この情勢を見て、公明党は大阪の衆議院総選挙で危機感を持った。僕が維新の候補を立てる準備をしていたので、公明党は維新擁立を見送ってくれと言ってきた。あのときに僕が話し合いバカになって、選挙の準備もせずに、話し合いだけしていたら何も進まなかっただろう。

選挙の準備って簡単に言うけど、膨大な労力、作業、金が必要になってくる。僕は市長当選時に、国政政党の結成を宣言し、近畿だけでなく全国で候補者を立てることを公言した。そして言うだけでなく実行に入った。維新政治塾を開いて、候補者養成をスタートした。自分一人ではできない。維新の会のメンバーがフル稼働した。

大阪府政、市政改革の合間にこれらを進めるのはしんどかった。でも、そのような準備をしっかりやっていたからこそ、公明党との政治折衝が実現した。維新は、公明候補者のところに維新候補者は立てない。その代わり公明党は大阪都構想に協力する、という政治的合意が成立した。

ゆえに一定、大阪都構想の手続きが進んだ。大阪都構想の法律が成立し、大阪府市の条例で大阪都構想を協議する法定協議会も設置された。

ところが2012年末に総選挙が終わったら、公明党の態度がガラッと変わったね。まあこれが政治の世界と割り切ったけど、それならもう一度選挙で勝負してやる、と宣言して2014年末の総選挙に臨んだ。

ここで再度、維新候補者を公明候補者にぶつけない代わりに都構想に協力してもらうという政治的合意を成立させた。このことで、絶対だめだと言われた大阪都構想の住民投票が実現した。

つまり、激しく対立する政治課題があるときは、無邪気な話し合いだけでは解決しない。力を背景とした話し合いでなければ解決しないんだ。平和的な民主国家である日本において、「力」とは選挙だね。都議会は来年の6月までは小池さんにいい顔をしてくるだろう。でも選挙が終われば態度は豹変する。

だからこそ小池さんは、政治カードを作っていつでも切れる状態にしておかなければならない。政治カードとは「いつでも小池新党を作るよ」というもの。そのためには、来年の6月に向けて自らの支持率をピークにするマネジメントが必要になる。

小池さんの支持率を来年の6月にピークにもっていく手段は、築地市場問題やオリンピック問題ではない。平成29年度の予算編成だ。ここで都政の膿を出し切り、議会や既得権と徹底的にやり合えば、確実に都民は小池さんを支持する。

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》のダイジェスト版です。

(撮影=市来朋久)
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