条件は(1)加盟各社とのマイレージ交換サービス(2)空港などのメンバー用ラウンジの相互利用(3)加盟社の便に乗り継ぐときに預けた荷物が送られていくサービス――の3点だけ。加盟により、共同運航で国際線の路線が充実した。重複する路線は一部撤退し、経営効率が高まる。そのお膳立てを仕掛けることができたことは、ひそかな自慢だ。

主席部員は課長級や部長代理級で、まず95年6月、40代に入る直前に、企画室の主席部員となる。篠辺さんは整備本部からきていて、飛行機の導入計画を担当していた。4年後、組織改正で社長室グループができ、そこの経営推進部に看板が替わる。計7年間に中期経営計画を2度つくり、毎年の見直し作業にも関わり、本社の移転も手がけた。

この間、世界的な不況で経営が苦しくなり、様々な改革が続く。だが、状況は、なかなか改善しない。97年にはアジア危機の打撃も受け、ついに無配へ転落。トップ人事をめぐる騒動まで起きて、社内は大きく揺れた。

苦境続きのなかで、感じたことがある。そういう騒動があった後も、役員会では、敵味方が仲よく座っていた。誰もが「会社のために戦ったのだ」と割り切っていたのだろうが、世間には敗者の追放や恨み話が、いくつもある。独特な企業文化というか、「ANAの強みの1つ」と言っても、いい気がした。

7年間の主席部員時代に、3代の社長に仕えた。誰も、赤字がずっと続いていた国際線をやめようと言い出す人は、いなかった。人口減少時代が控えた日本の状況や世界の航空需要を考えれば、ANAの成長は国際線にこそある。そうした広い視野に立って、会社の将来を考える基盤が、40代に固まっていた。

「以天下觀天下」(天下を以て天下を觀る)――自分がいる天下の実情をもとに、広く天下の形勢を判断する、との意味だ。中国の古典『老子』にある言葉だ。しっかりと状況を把握して、いくべき道をとる大切さを説く。たとえ少数派であっても、苦境下でも、広い視点で判断し、進むべき道を選ぶ片野坂流は、この教えと重なる。