インスタグラムの日本語版を作ったが……

【田原】大学3年のときに友人たちと会社を起こした。どういう会社だったんですか。

【岡田】ちょうどそのころインスタグラムがアメリカで流行り始めていました。まだ日本で使っている人は少なかったので、いまのうちに日本版をつくればイケるんじゃないかと思ってつくったのですが、ものの見事に失敗しました。

ABEJA社長・岡田陽介氏

【田原】すみません、インスタグラムって何ですか。

【岡田】自分で撮った写真をインターネット上で共有できるサービスです。いまは日本でも若い世代にかなり普及しています。

【田原】なるほど。それの日本版をつくったけど、うまくいかなかったと。原因は何ですか。

【岡田】ユーザーには人気だったのです。しかし、広告がうまく取れず、ユーザーが増えるほどサーバー代金が高くなって赤字になるという構造になってしまった。技術力はあっても、自分はビジネスをつくる力が弱いことを痛感させられました。

【田原】岡田さんはコンピュータ一筋だったから、ビジネスには興味がなかったのかな。

【岡田】そうですね。ビジネスが好きか嫌いかという以前に、そもそもビジネスのことを何も知らない状態でした。

【田原】岡田さんは、それからリッチメディアという会社に就職される。これは何の会社ですか。

【岡田】コンテンツマーケティングの会社です。何かに特化したWebメディアをつくって、そのメディアに掲載する広告で収益を得ます。私たちは広告が取れずに失敗したので、とても勉強になりました。

【田原】なるほど。最初の起業で足りなかったところをその会社で学ぼうとしたわけだ。

【岡田】そうです。社長の坂本幸蔵さんには、広告営業だけでなく、マーケティングの仕方も含めて、つくったものをお金にしていくプロセスを一から教えていただきました。

シリコンバレーでの経験が転機になった

【田原】岡田さんはリッチメディアにお勤めのころ、シリコンバレーへ行き、その経験が大きな転機になったそうですね。どういうことですか。

【岡田】大きな発見が2つありました。1つは、シリコンバレーのプログラマーたちのレベルの高さです。私も腕に自信があったのですが、向こうには世界トップクラスの天才がたくさんいて、逆立ちしても勝てないなと挫折感を味わいました。感嘆したのは腕の部分だけではありません。日本では、わりと軽い感覚で「このビジネスで世界を変える」と言う人が少なくありません。一方、シリコンバレーの起業家たちは本気度が違う。世界を変えることに真剣に向き合っている姿に感動しました。

【田原】シリコンバレーに行って、まずはそこで働く人たちに衝撃を受けた。もう一つの発見は何ですか。

【岡田】ディープラーニングとの出合いです。私がシリコンバレーを訪れた2011年後半から12年初頭にかけて、人工知能の技術的な革新であるディープラーニングが生まれて、それまでできなかったことが一気にできるようになった。その変化に立ち会うことができて、本当に運がよかったです。