一方、米軍が撤退したイラクでは混乱が拡大した。もともと混乱の種を蒔いたのはブッシュ政権のイラク戦争である。イスラム教スンニ派の独裁的指導者であるサダム・フセインを排除した結果、イラクの多数派であるイスラム教シーア派主体の政権が誕生した。しかしシーア派、スンニ派、クルド人という3つの勢力の対立構造が表面化して、イラクの政情は一気に不安定化する。大義のない戦争を仕掛けたアメリカには新政府および政府軍をバックアップしてイラクを和平に導く責任があるはずだ。ところがオバマ大統領はブッシュ政権の失敗を責めるあまりイラク撤退を宣言して、米軍を引き揚げてしまった。その空白を突いて、それまでシリアでの反政府活動が主だったスンニ派系過激派組織IS(イスラム国)がイラクに攻め込んで油田を接収するなど支配地域を広げ、イラクは内戦状態に陥った。

ISを生み出したのはスンニ派国家の盟主、サウジアラビアである。シリア、イラン、そしてフセイン亡き後の隣国イラクと、シーア派勢力が中東に広がることを警戒するサウジはスンニ派過激派勢力を陰で支援してきた。その鬼っ子がカリフ制国家という新しいコンセプトを打ち出したISだ。本来、怯えたサウジが危ないことをしないようにアメリカがコントロールすべきなのに、オバマ政権はイラクをシーア派に塗り替えられて怒り心頭のサウジとの関係を確立できなかった。逆にイラク撤退によってISのような鬼っ子を活性化するトリガーを引いてしまったのだ。オバマ政権の8年間、アメリカは中近東でことごとく判断を誤った。たとえばチュニジアのジャスミン革命から広まったアラブの春。学生弁論家みたいなオバマ大統領は民主主義の素晴らしさを称賛して、中東民主化の後押しを明言した。しかし結果はアラブの春がアラブの混乱・悪夢に転じただけだ。当初は中東民主化の成功例とされたエジプトでは、ムバラク大統領が追放されて民主主義に基づく選挙が行われた。皮肉にも多数派として政権を握ったのは反米のムスリム同胞団で、これを嫌ったアメリカは裏で糸を引いて軍人にクーデターを起こさせ、親米派の軍事政権を樹立した。マジョリティが意思決定するというアメリカ流民主主義の理念も価値観もへったくれもない。

カダフィ亡き後のリビアはもっと悲惨で、群雄割拠して誰も手が付けられない状態になっている。生命の危険にさらされている国民は海を渡ってヨーロッパに逃げ出しているが、ヨーロッパの難民認定の多くは政府から迫害されていることが条件になる。無政府状態のリビアの人々は難民認定もしてもらえないのだ。