笑われてきた歴史、バネに

人に笑われてきた悔しい歴史が、坂本さんの中にもあるのだろう。その悔しさをバネに農業に情熱を傾けてきた。28歳だった1969(昭和44)年、仲間4人と農場を設立した。シクラメン栽培と乳牛7頭で始めたが、数年後には500頭に増え、大手食品メーカーと取引するまでに成長した。「法人化」「地域連携耕畜複合化」「経営の多角化」「大規模システム化」に取り組み、「農業の六次産業化」につながった。

六次産業化とは、第一次産業である農業者が食品加工(第二次産業)や流通・販売(第三次産業)にもかかわることである。地域の人々との交流のため、農業や酪農の無料開放である「0円リゾート」にも取り組んでいる。「うちの六次産業は1×3×2+ゼロ(0円リゾート)です」と言うのだった。

いまや坂本さんは全国の農業者に広く知られた存在となった。人間的魅力も大きいのだが、何より坂本さんを坂本さんたらしめているのは、どんなに苦しい時でも、あきらめないところである。正しい準備をするところである。これって、「イチローイズム」の基本と共通している。

イチローは不断の努力で日米においてヒットをコツコツと積み重ねてきた。坂本さんもまた、田畑を耕し、牛や花の世話に愛情を注ぎ続けてきた。ふたりに共通するのは、仕事に対するリスペクトである。さらにいえば、「顧客の喜び」「ファンの感激」「人々の幸せ」をいつも意識している点でもある。

坂本さんは「農業を思う心は誰にも負けない気持ちで命を懸けてきた」という。イチロー談義で盛り上がる。夕陽に輝く高層ビルの窓外を眺めながら、農業界のレジェンドは声を張りあげた。

「イチロー君を見ていると、やる気が沸いてきますね。農業の若い連中も、イチロー君に負けないよう頑張ってほしい。百姓の魂を大都市に持ち込んでほしい」

じつは坂本さんは東京湾の埋め立て地の「夢の島」に農場(農園)を創ろうという壮大なる夢を抱いている。名付けて『東京農場』。笑うなら笑え。坂本さんもまた、イチローのごとく、笑われたことを達成してきたのである。

松瀬 学(まつせ・まなぶ)●ノンフィクションライター。1960年、長崎県生まれ。早稲田大学ではラグビー部に所属。83年、同大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。日本文藝家協会会員。著書に『汚れた金メダル』(文藝春秋)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)、『一流コーチのコトバ』(プレジデント社)、『新・スクラム』(東邦出版)など多数。2015年4月より、早稲田大学大学院修士課程に在学中。
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