医療の枠を広げることで選択肢を増やす

このような話をすると、医者がそんな話をするなんてと珍しがられますが、私は、自分の役目は医療の枠を広げるということだと思っています。医療を狭く厳密に定義すればするほど、医療従事者が自分で自分の首を絞めることにもつながります。なぜなら、その枠内ではどうしても扱えないものが増えてしまうからです。

例えば、食事によって人が元気になる、芸術によって人が生き生きする、新しい服を着ることで意欲がわく、住む家や場所によって日々の英気が養われる、といったことも含めて、それが元気や健康につながるのであれば、広い意味での医療と言っていいと思います。そうやって医療の枠を広げると、西洋医学に基づいた治療で治せないことがただちに「手の施しようがない」ということにはなりません。色々な人の協力を受けて知恵を出し合えば、もっとできることはあるはずなのです。広く医療の在り方を定義すれば、思わぬ角度から手の施しようがあるかもしれません。医療の現場で患者さんと接していると、使えるものは何でも使って、結果としていい方向に向かえばよいのではないかと、日々感じます。違う方向に行きそうになったらその度に軌道修正すればいいのです。科学は、有効だった個々の事例の本質を探り、個別から普遍性を見出し応用していくための方法論なのだと思います。現場の事例や実践こそが、体系的な科学理論より先行するはずなのです。

『がんが自然に治る生き方』(ケリー・ターナー著 プレジデント社)

実際、『がんが自然に治る生き方』に出てくる劇的な寛解を遂げた方たちも、さまざまな伝統医療、補完代替医療を試しています。そこには西洋医学の限界を突破する可能性もありますが、それと同時にあやうさも含んでいます。医療の枠を広げるということには、リスクも伴います。経験に乏しい人が、目の前の結果に飛びついてしまい、長期的な視点を忘れてしまうからです。色々な事例を聞いていてトラブルになりやすいのは、「これをやったら絶対に治る」という断定的な物言いをしてしまう治療者です。治療法よりも、その治療法を使う人間の側に問題がある場合が多いのです。

人の体は極めて多様で、しかも常に変化し続けるものなので、絶対にこうなる、という機械的なものではありません。もちろん言い切りたい気持ちはよくわかりますが、人の体はそう単純ではないことを現場では日々痛感しています。たとえば仮に治らなかった場合に「あなたのやりかたが悪い」「あなたが心の中で否定しているから」、という理屈で合理化されてしまうのです。頭の理論や思い込みや信念が、実際の現実を捻じ曲げる結果になりかねません。不安になっている患者さんは断定口調に弱いものですが、「絶対に治る」という話の行き着くところは「信じるか信じないか」「信じる者は救われる」というある種の信仰の世界です。