【田原】それからどうしたのですか。

【南】10カ月くらいスポーツビジネス界への転職活動をした後、覚悟を決めて会社を退職。渋谷に2坪のレンタルスペースを借りて、とにかくスポーツと名がつく仕事を何でもやっていくことにしました。

【田原】たとえば?

【南】テニスの国際大会の通訳をしたり、フットサル場の管理人をやって大学生から「1万5000円です」と料金を集めたり。

【田原】それじゃなかなか食べていけないでしょう?

【南】ええ。困っていたときにまず助けてくれたのが、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の増田宗昭社長でした。金融機関時代の元上司がCCCに転職したのがきっかけで増田さんと知り合い、「僕らはいろんな会社を買っていくから、手伝ってくれ」と。じつは増田さんは、三木谷浩史さんが楽天をつくったときの最初の投資家。そのご縁で三木谷さんをご紹介いただき、楽天の企業買収のお手伝いの仕事もいただくようになりました。

【田原】そこで楽天との接点ができたのですね。そのとき楽天はまだプロ野球に参入していなかった?

【南】はい、三木谷さんにお会いして1年半後くらいにニュースで知りました。僕がやりたかった仕事はまさにこれだと思って連絡したら、三木谷さんは「20分だけ話を聞く」と。最初の10分でいままで僕がスポーツビジネスの世界に飛び込もうとした経緯をお話しして、後半の10分で自分の理想の球団経営についてプレゼンしました。すると、「明日から来てください」と。

【田原】三木谷さんは南さんの何を評価したんでしょうね。

【南】本人に聞いたことはないのですが、すべてを捨てていたことが大きかったのではないでしょうか。その志と行動力を買ってくれたのではないかと自分では考えています。

【田原】楽天イーグルスでは、どんな仕事をされたのですか。

【南】僕は三木谷さんに「ジョーカーをやれ」と言われていました。つまり、一番足りないところに、その都度ヘルプで入れと。ですからドラフト会議のテーブルにも座らせてもらったし、スタジアムでお客様をどう楽しませるのかという仕事もやりました。半年間で役割が目まぐるしく変わっていった印象ですね。