望まれる「プロセスづくりパートナー」

カラヤンは、まったく指示を与えないことで演奏をリードする手法をとっているが、自らの指揮スタイルについてこう話している。

「明確な指示を出すことは、オーケストラにとって大きな害になるだろう。なぜなら、私が指示を出すことによってアンサンブルがうまくいかなくなるからだ。オーケストラにおいて、演奏者がお互いの音を聞き合うことがとても大切なのである」

チームの仲間同士で互いに調和をし、自分の役割を知り、ひとつのことを仕上げていく力が重要だというのだ。こちらも、相手を自由に泳がせて力量を引き出すように見える。ところがだ。目をつむり、手を空中でふらふらとさせる指揮に、奏者は「いつ演奏を始めればよいのでしょうか?」と不安になる。それに対してカラヤンは、「いつ始めればいいのかわからずイライラして、もうこれ以上待てないと君が思ったときに」と答えたそうだ。

つまり、演奏者は具体的な指示などないままに、カラヤンの考えていることをその指揮から読まねばならないという、もの凄いプレッシャーを感じることになる。自由にさせる「放任的リーダー」に見せつつ、実は圧倒的に「強制的リーダー」のやり方でもあるようだ。

では、具体的な指示なしに演奏家たちはどうやって“調和”を生み出すのだろうか。

交響楽の演奏はジェットコースターのように乗ったらそのまま乗り続け、身を任せるようなもの。具体的な指示などなくても、演奏中に自然と求められていると感じて演奏するようになる。そして、演奏者と指揮者はパートナーとなり、やがて指揮者が指示など出さなくとも、自分がすべき演奏がわかり出すという。

プロジェクトチームでも同様だ。やがてプロジェクトの同乗者同士が、自分のすべきことを自然に見つけ、指揮はなくとも自分がすべきことがわかり回っていくことが理想だろう。一見放任に見える指揮者も、あくまでもリーダーとしての威厳を持って対応することが重要になる。放任することは、ただ放り出すことではなく、相手の能力や感性を生かして解放してやること。相手の力を引き出した上で、あくまでも自分の力でやりとおしたように感じさせることがリーダーとしての手腕となりそうだ。

イタイ氏は、友人の言葉を借りてこんな風に表現している。

「愛しているなら、自由にやらせなさい」

こうした指揮・指導を受けた人間はそのときにはわからなくとも、熟達したときに初めて「あの人は優れたリーダーだったな」と感じてくれるかもしれない。その域に達して初めてわかることも、数多くあるものだ。

[脚注・参考資料]
Itay Talgam, Lead like the great conductors, TED, Oct 2009
https://www.ted.com/talks/itay_talgam_lead_like_the_great_conductors?language=ja
『週刊ベースボールオンライン』、野村克也の本格野球論、監督のタイプ

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