部下の力引き出す「2週間」の猶予

いつも、「物事には、何でも、簡単に答えが出るものと難しいものがある」と思っている。経営でも同じで、答えが簡単に出るということは、それまでに議論やテストなどが煮詰まっているからで、煮詰まっていないものもある。それを煮詰めていくプロセスが必要で、煮詰めずにやってしまうと危ない。そう、自戒を重ねてきた。

ヤマハ発動機 社長 柳 弘之

1998年4月から3年余り、40代の半ばに、静岡県・森町にある二輪車のフレーム工場で、生産の管理と効率化を指揮した。最後の1年余りは工場長も務め、浜松市にあるマフラー工場のトップも兼ねた。この間に森町工場で取り組んだ「溶接ゼロ」の技術革新でも、後で触れる生産本部長時代の「理論値生産」の体系化でも、そうしたプロセスを重視する。ときには、意識して部下たちに「煮詰めるための時間」を与えた。100点満点に近づく努力を続けてもらうのが、本意だった。

当時、会社はアルミ製のフレームをいち早く開発し、スポーツ系二輪車に使い始めていた。国内の四輪車メーカーが「うちでも使いたい」と見学にきたほど、先行した。ただ、技術水準は満点には遠く、とくに溶接は普通に使われていた鉄材と比べて難しく、なかなかきれいに仕上がらない。

二輪車のフレームでは、昔から「1台つくると、15メートル分の溶接がある」とされた。それだけ多いと、燃費向上のための軽量化の足かせになるし、外観に出てしまう溶接個所もけっこうある。「それでは、外観の美しさを重視する欧州のお客に支持されない」と考え、「とにかく、1台で1メートル以内にしろ」と指示した。