デザイナーと「かみの工作所」設立

福永紙工は、山田の義父である福永秀夫会長が1963年に創業した。化粧箱や製品パッケージの印刷から加工、組み立てまでを一貫してできるのが強みだ。

山田明良・福永紙工社長。

山田は1993年、同社に入社した。もともとはアパレルメーカーの企画や営業を担当しており、印刷は全くの素人だった。だが、素人ゆえにかみの工作所を立ち上げることができたのだろう。

入社当時、山田は新規開拓にも努力したが、なかなか思うように顧客は増えず、活路を模索していた。そうした中で、2005年のこと、立川市のお隣の国分寺市のつくし文具店をふらりと訪ね、そこで2代目店主の萩原修と出会った。

萩原はアートディレクターが本業で、家具や伝統工芸、展覧会などのプロデュースを行っていた。山田は萩原と意気投合し、萩原の知り合いのデザイナーにも声をかけ、福永紙工の工場を見てもらった。すると、デザイナーたちは印刷職人の話や技術に大いに興味を持った。

「箱やパッケージは捨てられるものですが、私はデザインの力によって紙が主役になる製品を作れないかとデザイナーに相談しました。立川の町工場発の紙製品を作ってほしいとお願いしたのです」

萩原の紹介で頼もしい援軍が現れた。デザインディレクターの三星安澄(みつぼし・あずみ)である。06年に山田、萩原、三星が中心となってかみの工作所が立ち上がった。

福永紙工にはこれまでとは毛色の違った人々が集い、日夜デザイン会議が開かれた。新製品を設計し、職人たちにお願いすると「そんなことはできない」と、すげなく断られた。職人からすれば、いきなりやって来てわけのわからない要求をする連中に不信感を持っても不思議ではない。

だが、山田は自社の技術と職人を信じていた。この技術力があるから、新しいことに挑戦できるのだと思い、粘り強く説得した。