「ありのまま」は理想論か

この、最終的には自己超越にすら向かうかもしれない「ありのまま」の状態を自己実現とするなら、そんなものは理想論に過ぎない、その前にやるべきことや、日々の生活や環境の中で妥協したり、何かに追われたりしてしまうことがほとんどではないか? という批判もあるかと思います。事実、明日食べるものにも困るような社会環境では、そんなものはただの幻想に過ぎず、欲求として意識することすらないかもしれません。

しかし、多くの若者が「欠乏欲求」をある程度は満たせてしまうような、現代の成熟した日本社会では、それが顕著に現れてきたのだと思います。そして、それが次元の高いものだったとしても、一度出現してしまった(覚えてしまった)以上、その欲求を満たすことができなければ、心理的な健康は阻害されてしまうとマズローは指摘しています。

しかし、この「成長欲求」が「欠乏欲求」とは根本的に質や次元の異なるものであるために、自己実現を支援できるような教育・人材育成プログラムが、多くの学校や企業組織においてほとんど備わっていないということが深刻な問題なのだと思います。自己実現とは、成長という「過程そのもの」であり、「達成をマネジメント」することでは決して可能になりません。従来の過度な目的合理主義・目標管理主義を前提とした人材・組織マネジメントの中では、むしろこれは激しく妨害されてしまうものだと思います。

ここには、「企業の成長」と「個人の成長」の間における大きなジレンマがありますが、その過程において、「無気力」「草食系」「さとり系」などと揶揄されるような価値観の“ズレ”が生じてしまっているのではないでしょうか? 実にもったいないことです。

僕にもまだ、どのような場所や機会が、一人ひとりの成長欲求を満たし、自己実現という心理的健康の実現を支援していけるのか、答えは分かっていません。それでも、「根本的に次元が異なる」ということをいつも念頭において、人材育成・組織開発の活動やコミュニケーション開発の実験を続けています。

「マネジメントしない」ということは、ただ放棄することではありません。ルールやヒエラルキーを一度排除し、結果をコントロールせずに混沌を歓迎するニートだけの会社(http://neet.co.jp/)。「先生」を排することで、教えず、支持せず、管理せずに、感情に寄り添い、おとなとこどもが従来の関係性を越えて共に変化し続けることを偏重した鯖江市役所のJK課(http://sabae-jk.jp/)。これまでにも何度か記事にしてきたように、そのすべては、当事者同士が人間性をぶつけあうことで、僕たちの生々しい変化や成長と「ありのまま」の何かが、これからの社会と新しく接続していくかたちを模索しているのです。

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