一昼夜、足止めとなった後、13日早朝に仙台へ向かう。宮城県の2つの工場で被害状況を確認し、自宅で妻の無事を確認した後、本社に入る。各拠点の被災状況を確認しながら、何からやるべきかを考える。

翌14日、工場に社員を集めて、呼びかけた。社員たちも、家族を含めて被災者だ。だが、企業の社会的な責任を第一に考え、工場の復旧に力を結集するように求める。自分たちは、被災者が求める生活用品を、いろいろとつくっている。それを早く届けることこそ、仙台に本拠を構える会社としての本分だ。

89年12月、本社の登記を仙台へ移した。その10年余り前に、本社機能は創業地の東大阪から仙台へ移していたが、知名度や信用力が足らず、東北の金融機関に相手にしてもらえない。仕方なく、しばらく大阪の銀行と取引を続け、登記上の本社は大阪に残していた。だが、前回(http://president.jp/articles/-/11958)触れたペット商品や収納ケースなどの大ヒットが続き、「もう仙台の企業になりきろう」と決意する。44歳のときだった。

工場の復旧優先は、被災もしている社員たちに、非情なような気もした。でも、決断する。そして、説いた。「義捐金を3億円、拠出する。県や市に必要とするものは、すべて提供しよう。ただ、工場の復旧は、我々にしかできない」。思わず、涙声になる。だが、うつむいて聞いていた社員たちが顔を上げ、喚声で応じたとき、地元企業になりきっていたことを、確信する。

震災後、首都圏などで計画停電が実施された。すると、コンビニなどが節電を進めるため、発光ダイオード(LED)による照明に切り替え始めた。自社にも、LEDがある。園芸商品の一つとして、夜にしか庭いじりができない人のために開発したイルミネーション用だ。

世の中の表面的な動きからでは、自分が何をすべきかは、写し取れない。都合のいいデータや解釈のみが目に入り、選択を誤らせる。だが、冷静な観察と分析があれば、進むべき道は浮かんでくる。震災後に調べると、日本の全消費電力の15%が照明用。そのすべてをLEDに替えれば、全体の6%分を節電できる、という。それは、原子力発電所21基分に相当する、と知った。