新NISAや日経平均株価の史上最高値更新などもあって投資熱が高まる昨今、コツコツと節制して貯蓄する節約術は軽視されがちだ。しかし、大きい額ではないが小銭ほど小さくもないお金の使いかたにこそ、その人の人生観や生き方が凝縮されているのではないか。
そう気づきを与えてくれるのが『三千円の使いかた』(中公文庫)という小説だ。この累計96万部(2024年8月現在)を誇るベストセラーの著者である原田ひ香さんは、なぜ家計や節約にまつわる物語を書こうと思い立ったのか。自身の「お金観」に影響を与えた出来事とあわせて聞いた。
本当は『節約家族』『節約小説』というタイトルで出したかった
「人は三千円の使いかたで人生が決まるよ、と祖母は言った」
実写ドラマ化もされた原田ひ香さんの小説『三千円の使いかた』は、こんな一文から物語が始まる。祖母は「三千円くらいの少額のお金で買うもの、選ぶもの、三千円ですることが結局、人生を形作っていく、ということ」と続けるのだった。
確かに、スマートフォンで通販サイトを眺めて、「これ、いいかも」と思う商品を見つけたとき、躊躇せずにポチっと購入できるのは3000円くらいまでのものかもしれない。5000円だと即決はできないし、1万円以上となると他の商品と比較したりして熟考してしまう。そう考えると、「三千円」というのは絶妙な金額だ。
「でも、この本のタイトル、実は私が考えたわけじゃないんです」
原田さんは、そう笑って話し始めた。
「この本はもともと、『節約メリーゴーランド』というタイトルで雑誌連載していた作品でした。本当は『節約家族』とか『節約小説』というタイトルで出したかったんですよ。でも、それじゃ直接すぎるからと言われて。さらに書籍化するときにタイトルを考え直すことになって、出版社の営業の方が出した案が『三千円の使いかた』だったんです。いま思うと、作家や編集者ではなかなか出てこない視点で、すごくいい題名に出会えてありがたかったなと思っています」
小説の節約話は、自分が実際にやっていたことばかり
もともとシナリオライターをしていた原田さんは、2007年に『はじまらないティータイム』でデビューを果たし、第31回すばる文学賞を受賞。純文学作家として売り出した原田さんが、なぜ節約小説を書くことになったのだろうか。
「きっかけは、美容室で主婦雑誌を読んだことでした。当時、世帯年収200万円台の家族でも工夫してやりくりして、4人家族で1年に数十万円貯蓄した、といった記事を読んで、これはスゴイ!と思ったんです。それから『これを小説にしたい』と考えていたんですが、なかなか企画が通らなくて。でも2017年に中央公論新社の『アンデル』(現在は休刊)という雑誌から声がかかり、連載させてもらえることになったんです。構想は2008年のリーマン・ショックの直後くらいから頭にありましたから、作品になるまでずいぶんかかりましたね」
『三千円の使いかた』は、社会人になって一人暮らしを始めた美帆、結婚前は証券会社勤務だった専業主婦の姉・真帆、バブル世代で習い事に熱心な母・智子、1000万円の貯蓄を持つ祖母・琴子。世代の違う御厨家の女性たち、それぞれの視点から家計に貯蓄、投資といったお金の問題と向き合う「暮らしのマネー小説」だ。
物語の中では、真帆がポイ活などでコツコツ節約したり、琴子が条件付きで高金利になる退職者キャンペーンの情報をチェックしたりする様子が描かれている。こうしたマネー知識はどこから得たものなのだろうか。
「本を書くことになったきっかけと同じで、主婦雑誌を読みあさっていました。ポイ活も証券会社のキャンペーン金利も、実際に自分でやっていたことです。美帆が月に8万円、ボーナス時に2万円ずつ貯めて1年で100万円貯めようとする話も、学生時代に先生から教わって本当にやった話です。優待株投資で有名な桐谷広人さんにこの話をしたら、褒められました(笑)」
純文学作家は経験30年以上の投資家でもあった
大学を卒業し、働き出して1年で実際に100万円を貯めたという原田さん。銀行の定期預金金利が低金利になっていたので、預けても利息がほとんどつかなかったことから、「少しでも増やせないかな」と考え、外貨建てMMFや外国債券などに投資したのだとか。そのときに使ったのが、あの「山一證券」だった。
「だから、1997年に山一證券が経営破綻したときは、本当に驚きました。ニュースを見て、会社の昼休みに山一證券の支店を見に行ったら、シャッターが下りていました。こんなことがあるんだ、って小説家としては貴重な経験をさせてもらいましたね。不幸中の幸いで、私自身の資産は同じ商品を取り扱う別の証券会社に移すことができました」
そんなこともあり、20代のときから貯蓄や投資の経験は豊富だった原田さん。それ以降、30年にわたりずっと投資は続けているという。原田さんにとってのお金にまつわる大きな出来事は、山一證券の経営破綻のほかにもう一つある。「リーマン・ショック」だ。
「山一證券のときは運よく難を逃れましたが、リーマン・ショックのときは、ちょうど投資信託などに小説の賞金といったまとまった金額を入れたばかりのタイミング。大損失を出しました。それでも売却はせず、少額ながら積み立てを続けました。収支は、リーマン以降はずっとマイナスで、プラスに転じたのは私の30年以上の投資人生の中で直近12年くらいの話ですね」
そんな体験をした原田さんは、新NISAなどもあって高まる「投資ブーム」に危機感も覚えているという。
「投資すること自体はもちろん悪いことではないのですが、『利益が出るのが当たり前』と思ってしまわないか、という不安があります。私なんてマイナスの時代が長かったので、投資はマイナスなのが普通、利益が出たら儲けもの、くらいに考えています。『確実に儲かる』というような怪しい話には飛びつかず、お金の専門家の本やマネーメディアの情報をしっかり勉強して、自分なりのやり方、投資術を考えて、納得してからやるようにしたほうがいい、と思っています」
原田さんの「三千円の使いかた」は?
いま、世の中としては「貯蓄より投資」という流れが強くなっている。「お金は大きく増やすもの」という考えに押され、節約といった細かいお金の話は敬遠されがちだ。しかし、原田さんは「節約の効用」はただお金が貯められるといった短絡的な話ではない、と語る。
「お金に関して、いろいろな人を見てきた今だからこそいえるのですが、節約というのは自分を律するということだと思うんです。あれが欲しい、これが買いたい、そんな衝動的な気持ちが起きることは誰でもあると思いますが、そこをぐっとこらえる、あるいはちょっと考えて、家計状況や安くなるタイミングを見計らって計画的に買う。こうして自分を律することができるというのは、ある意味では貯めたお金そのものより価値があるのではないでしょうか。こうしたちょっとした自制心が自分の人生をより豊かなものにしてくれる、私はそう思います」
節約とは、単にこまごまとしたお金を貯めることではなく、自分のお金を自分の意思でコントロールすることであり、その行為自体に価値がある。投資も節約も自分自身で体験してきた原田さんの言葉には、説得力がある。
最後に、原田さんの「三千円の使いかた」について聞いてみると、「私、ケチなので……」と笑いながら、こう話してくれた。
「楽しい使いかたをするなら、映画を見に行って、残ったお金で新宿のBERGというビア&カフェで黒ビールを飲みながら、同行者と感想を語り合う。一人なら考えごとをするのもいいですね。でも、もう少しちゃんと使いたいというなら、ふるさと納税かな(笑)。3000円を寄付すると、返礼品として2キロくらいお米をもらえるところがありますし、節税にもつながります。『三千円の使いかた』としてはお得でいいなと思います」
やはり本家の「三千円の使いかた」は、どこまでも無駄なく現実的だった。
(取材協力=原田 ひ香、構成=田中裕康)