君のお金は誰のため

老後2000万円問題に端を発し、最近は「4000万円必要」とまで言われ始めた、「老後のお金」問題。この風潮にあおられて、急かされるように「投資しないと」というマインドになってはいないだろうか。そこに「投資するだけでは日本全体の課題は解決されない」と訴えるのが、この『きみのお金は誰のため ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」』(東洋経済新報社)という本だ。刊行から半年で20万部を超え、「読者が選ぶビジネス書グランプリ2024」で総合グランプリに輝いた。「目の前のお金だけでなく、その向こう側を見てほしい」と話す、著者の田内 学さんの思いとは。

投資する人、される人。あなたはどちら?

今はインフレだから、貯蓄するだけだと実質的に損をする。だから投資して利回りを得ないといけない。買うのなら国内より利回りが高い外貨や米国株に投資したほうがいい……。最近よく聞く論調で、一見正しそうな理屈に見える。しかし、「みんながこのように考えて行動すると、お金は日本から海外に流出する一方だ」と田内さんは警鐘を鳴らす。

「海外に投資するだけでは日本の経済成長に結びつかないし、外貨を買うことでますます円安になる。結果として、日本は国としてどんどん貧しくなっていくんです。この当たり前のことに気づいていない人が多過ぎると思い、この本を書きました」(田内さん、以下同)

今はみな「投資する」ことばかり考えていて、「投資される」側に意識がいっていない――。田内さんのこの指摘に、思わずはっとさせられた。世の中の風潮に流されて、「今時投資しないなんてありえない」「この株高の波に乗り遅れてしまう」と焦らされてはいなかったか。しかし、経済というのは投資を受けて起業する人がいて、新しいモノやサービスを生み出して世界が豊かになって、成長していくもの。投資は受け手がいてこそ成立するのだ。

「起業するなんてリスクが高いじゃないか、と思われるかもしれません。でも、『リスク』とはそもそも何なのか。海外に投資して高い利回りを得ようと考えるのはリスクではないのでしょうか。日本という国で投資したい人と投資されたい人のバランスを考えれば、今は投資されたい側のほうが圧倒的に足りていないんです。目の前のお金や不安だけでなく、もう少し引いた目で投資、さらに社会や経済を見てほしいと思っています」

将来への不安にただあおられるだけでなく、長期的な視点を持って「お金」について考えるべきではないか。本書を読むと、そんなお金の「本質」が見えてくる。

『きみのお金は誰のため ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」』
『きみのお金は誰のため ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」』
田内 学 著/東洋経済新報社/本体価格1,500円+税

「蕎麦屋の息子」が証券会社に入社して見えたもの

この本はいわゆる「マネー小説」となっており、中学2年生の「トンカツ屋の息子」がひょんなことから「お金の向こう研究所」の“ボス”と出会い、「お金とは何か」を学んでいく、という物語だ。

ボスは、「お金自体には価値はない」「お金で解決できる問題はない」「みんなでお金を貯めても意味がない」、この3つがお金の正体だ、と主人公に諭す。こう言われても不思議に思う人が多いのではないか。お金があれば解決できることが多いからみんな価値を感じているのだし、お金を貯めるのではないか、と。

「お金というのは、誰かの役に立った、その対価としてもらえるもの。この当たり前の原則を教わっていないから、会社に行って与えられた仕事をただこなしたり、自分の時間を切り売りしたりすることがお金を稼ぐことだ、と思い込んでしまう人が多い。だったら少しでもラクをしたほうがいいとか、ズルをして儲けたいといった発想になってしまう人が出てくるんです。そして、往々にしてそんな人が怪しげな投資話に引っ掛かってしまう」

お金自体に価値があるのではなく、お金は『流通』することで意味を持つ、と田内さんは強調する。お金が流れることで誰かが誰かの役に立つ、お互いを支え合う社会が構築されていくからだ。

実は、田内さん自身も「蕎麦屋の息子」だった。だから、「お客さんに美味しい蕎麦を提供する→その人が喜んでくれる→お金をもらえる」という構図を実体験として学んだという。

「大人になって証券会社に入りましたが、証券業がやっていることはお金をあるところから別のところへ移動させているだけで、新たなお金や価値を生み出しているわけではありません。でも、お金を流通させること自体が人々を結びつけ、お互いが支え合うことで新たな価値を生んでいることがわかったんです。この2つの体験が、今の私の『お金観』の原点になっていると思います」

会社は自分と社会の間にある窓口の一つ

そんな田内さんに、「お金の価値観が変わったエピソード」を聞いてみた。

「リーマンショックですね。このときは多くの会社が倒産したり、社員がリストラされたりしましたよね。それまで心のどこかで『会社は自分たちを守ってくれるもの』という意識があったんです。それが幻想だったと気づきました。会社から給料を受け取っているから、どこかで会社に守られていると思ってしまうのですが、実は会社を通して社会に貢献しているからお金を受け取っているわけです。会社というのは、自分と社会の間にある窓口の一つに過ぎない。そういうことが本当の意味で腑に落ちた出来事でした」

ちなみに、本書に出てくる「お金の向こう研究所」は、田内さん自身が運営するサイトと同じ名前だ。田内さん自身、「お金の向こう研究所代表」という肩書で活動している。この「お金の向こう」という言葉に、田内さんはどのような意味を込めているのだろうか。

「お金というと、自分の財布の中のことばかり考えがちですが、お金の向こうには多くの人が存在しています。お金を払うことで誰かに助けてもらっていますし、自分もまた誰かの役に立つことでお金をもらっています。私たち一人ひとりが地域や経済を作り上げているんです。だから、目の前のことだけじゃなくて、お金がどう流れていくのか、『お金の向こう側』を考えてほしいと思って、サイトや小説でこの言葉を使いました。経済というと貨幣経済のことばかり思い浮かべがちですが、地域のコミュニティーや人のつながり、そういったものが自分たちの生活を支えていたりするわけです。お金だけでなく、その周囲や先にあるものをもっと見るようにしてほしいと思っています」

翻ってみると、新NISA制度が始まり、世の投資熱は高まるばかり。保有する商品の値動きに一喜一憂するのは人の常だが、そこに留まってしまってはいないか。自分のお金が手元を離れ、どこかで誰かのために役立っている。それが巡り巡って、想像もつかないような形となっていつか自分の元に還ってくる。投資で得られるものは運用益だけではない。お金の本質を頭の片隅に置くことで、かけがえのない「人とともに生きる幸せ」を得ることができるのだ。

(取材協力=田内 学、構成=田中裕康)