「愉しむ読書」こそ最強の読書法

読書感想文のせいで、読書が嫌いになる子もいるでしょう。体育の授業のせいで運動が嫌いになるのと同じです。

私が小学生の頃、読書グラフが教室の後ろに張り出されていて、小説を読むと、金のシールを張れたんです。でも図鑑は青のシール、マンガにいたっては張れない。読書にも格差があるわけです。そういう意味では、教育現場は何が正しい読書で、何が正しい本だと明言しないまでも、「小説はいいもの」という仕組みをつくってきたところがあります。

だから読書感想文の課題図書も小説が多い。

でもほんとは、本に格差なんかありません。それに読書イコール小説を読むことでもない。むしろ「愉しむ読書」(Reading for Pleasure:RfP)こそが最強であるという研究があるんですよ。つまり大人が思う「よい本」よりも、自分で楽しむために好きに選んで読む本のほうが読書習慣をつくり、語彙力も高まる。成績もよくなるし、将来の所得にも健康にも効果的。そういったことが長年の研究結果として出ているのです。

だから子供が読む本も、いわゆる小説のようなちゃんとした本でなくていい。マンガでいい。むしろマンガがいい。とにかく好きに読むのがいいということです。

図書室で本を読む少年
写真=iStock.com/paylessimages
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読書感想文という宿題はなくすべき!

そういう意味で、小学校で登校後の授業開始前に15~30分ほど本を読む「朝の読書」というのは、すごく成功しました。

決め手は「何を読んでもいい」ことです。そして、それに対して感想を求めない。これが大切。そのおかげで本を読む子が増えて、子どもの読書時間も圧倒的に増えました。

子どもの読書はしばしば、大人の規範意識によって邪魔されます。

例えば、どこの国でもそうですが、男の子よりも女の子のほうが、よく本を読みます。アメリカの地方では、いまだに「本を読むのは女々しい」「読書は女が好きなこと」といった価値観の強いところもあり、それが男の子の読書を阻害しています。あと、そもそも男の子が好むマンガやカタログは、本と認めていないことも問題です。難関中学に入った男の子の中には、小説は読まないけれど、ポケモン図鑑はポケモン全種の説明をすべて覚えるほど読み込んでいるという子もいます。でもこれを読書とは言わない。

女の子のほうが、児童文学や小説など、いわゆる“ちゃんとした本”を読む子が多いだけで、読んでいる文字数は男女でそれほど変わらないのに、「これは本として認めるけれど、これは認めない」と分類していることで、読書嫌いをつくってきた。でも、そういった区別はしないほうが、読む人は明らかに増えるということが、読書研究によって明らかになった。「朝の読書」はその応用の成功例です。