「不親切こそ親切」という視点が児童の可能性を引き出す
では、その空白をどう埋めるのか。現代の教師に必要なのは、誰かにすがり信じることではなく、自ら問い、意味を創り出す姿勢です。自らの人生を切り拓く「主体性」とは、内から湧き上がる「もっとよくありたい」という願い、すなわち「力への意志」によって育つものです。これは、子どもだけに求められるものではありません。
教師にもまた、同じ意志が求められます。現状に甘えず、形式的な優しさに逃げず、自らの行為を日々問い直しながら更新していく意志。その意志をもち続けることが、やがて子どもたちの学びの質も変えていくはずです。そうした姿こそ、教育活動の本質ではないでしょうか。
では、私たちは現実の教室で、何をどこまでするべきなのでしょうか。
教育においては「必要なことを行い、余計なことを手放す」を常に心がける必要があります。なぜならば、時間は有限だからです。これは日々の実践の基本でもあります。
そのとき教師が心がけるべきことは、子どもたちを無理に型にはめることではありません。必要なのは、子ども自身が生来もつ力を信じ、見守ること。そのためには、教師自身が自らの実践を省みつつ、主体的な判断を下すことを心がけ、続けなければなりません。
教育は教師だけの営みではありません。保護者や地域社会、そして子どもたち自身も含め、全員が学び合い成長する過程であるべきです。本書が、教師だけでなく保護者や教育に関わるすべての方々にとって、「不親切こそ親切」という視点で、子どもたちの可能性を最大限に引き出す方法を模索するきっかけとなることを願っています


