こうして学生野球に体罰が生まれた

高校野球など日本野球界から体罰、暴力がなくならないのは、メディアも含めこれに寛容な体質があるといわれても仕方がない。

その背景には体罰の禁止を法律で謳っていながら、それを野放しにしてきた教育界のいい加減さ、緩さがあったと言わざるを得ない。

信念を持った教師が行う体罰は、教育的な意味がある。教師も暴力をふるいたくてふるったのではないし、体罰を受けた生徒も納得している……。信じがたいがこんなことを言う人がいまだにいる。

2023年、高知大学地域協働学部の中村哲也准教授が上梓した『高校野球と体罰』(岩波書店)によれば、野球界で体罰が顕著になったのは大正期とのことだ。野球熱が高まるとともにメディア、社会の注目も集まり、多くの選手が集まってレギュラー争いなど、競争が高まった時期だという。競争が苛烈になり、試合に出られない選手が増えてくるとともに、体罰や暴力が増えてきたのだ。

また野球人気とともに、試合に出られなくても、野球部に在籍することで進学や就職が有利になるようになって、暴力を容認する空気が生まれた。これによって、体罰、しごきみたいなものも、それに耐える意味があると価値づけされ、暴力的な指導を肯定する仕組みができたとしている。

世界的にも異様

つまり体罰は、野球部という集団の競争が苛烈になり、そのストレスによって生じた。そして暴力に耐えることで、進学、就職が有利になるというインセンティブが生じたことで、容認されてきた、ということだ。決して指導者や教育者の信念のような上等な理屈ではないということだ。

世界のスポーツ先進国から見ても「暴力が時として容認される」日本のスポーツ界は異様だといえる。いかなる理由があるにせよ、指導者が選手に「体罰=暴力」をふるった際は一発アウトという規定が設けられない限り、野球界から暴力体罰はなくならない。

競技人口が減り続ける中、野球界はいつまで「暴力に甘い」体質を続けるのだろうか。