※本稿は、朝日新聞取材班『ルポ 大阪・関西万博の深層 迷走する維新政治』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
大阪都構想の政策としての万博とIR誘致
大阪万博の話がもちあがった2013年の翌14年、誘致に向けた検討が本格的に動きだした。
大阪維新の会の府議団などは8月6日、府の施策について提言を出した。
「東京オリンピックが開催される2020年は、IR(統合型リゾート)の誘致が大阪で可能になれば、東西の2極において世界中から日本に注目が集まる年となる」
「IRとともに(25年に)国際万国博覧会の開催が可能となれば世界中から大阪へアプローチするイベントとなる」
提言にはそんな言葉を並べ、万博の誘致を促した。府知事の松井(一郎)は同じ日、政策企画部企画室に対して、誘致について検討するよう指示した。
それから9日後。大阪維新の会は、大阪都構想の住民投票に向けた政策素案(マニフェスト)を発表した。
大阪都として実現する政策として、万博の開催やIRの誘致を掲げた。都構想でめざす街の姿をアピールするのが狙いだった。IRはカジノのほか、ホテル、国際会議場、展示場、ミュージアムなどが集まる統合型リゾートだ。それらを実現して「国際エンターテイメント都市」をめざし、年2%以上の経済成長を果たすという目標を掲げた。
6カ所の「国際博覧会開催可能地」の例示
だが翌15年5月17日、大阪都構想は住民投票で否決された。
反対70万5585票、賛成69万4844票。差はわずか、1万741票だった。
橋下(徹)は「(住民投票の結果を)大変重く受け止める。悔いのない政治家としての人生をやらせてもらった」と話し、大阪市長の任期(15年12月まで)を終えてから政界を去った。
都構想はかなわなかったが、万博の誘致は続けられた。
住民投票から約2カ月後の7月28日。府市や財界の幹部、有識者でつくる国際博覧会大阪誘致構想検討会の4回目の会議で、府が委託した調査会社は「国際博覧会開催可能地」を例示した。選ばれたのは、次の6カ所だった。
・服部緑地(豊中市)
・花博記念公園鶴見緑地(大阪市鶴見区など)
・人工島・舞洲(大阪市此花区)
・大泉緑地(堺市)
・りんくう公園+りんくうタウン(泉佐野市など)
府側はこれらについて、開催の規模に合う100ヘクタール(阪神甲子園球場約26個分)以上の用地が確保できると見込んだ。鉄道や道路など、交通の利便性も高いと考えた。