「普通の人」は話を黙って聞かないし、本を読まない
【じゅそうけん】大学の先生って、学問を究めてきた方々じゃないですか。無気力な学生たちに戸惑いはないのでしょうか。
【鈴木】それは逆で、「そっか、普通は人の話は黙って聞かないし、本を読まない。授業中は寝るし、ゲームはするよね」という感覚ですね。
「理解できないとか不思議」というよりも、学生のほうが普通というか。
だから逆に大学教員側が適応しないといけないし、伝え方などを工夫していく試行錯誤は楽しいですね。
「文系のFランはいらない」という意見も理解できますけど、いまさら進学率を下げるわけにもいかないと思います。
【じゅそうけん】仕方ない部分はありますよね。ただ、「エッセンシャルワーカー」は人手が足りていないのに、Fランでも四大卒ということで「ホワイトカラーっぽい就職」を志望する人が過剰になっています。市場とミスマッチが起きている現状については、どのようにお考えですか。
【鈴木】神戸学院大の総合リハビリテーション学部はまさにエッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちを輩出するんですけど、ド文系の学部よりも本当はそっちの定員を広げたほうがいいと思いますね。
人事コンサルの城繁幸さんが「大学より専門学校行ったほうがいい」みたいな主張を20年前くらいにして注目を集めました。そういう「一部のトップエリート以外は大学に行かない」という社会が“設計上”は正しいのかもしれません。
「あきらめさせる」ことも大学教員の役割
【じゅそうけん】高度経済成長期はまさにそれで成り立っていましたよね。大学進学率2割程度で、商業高校とか工業高校とかに行く人も多くて。
【鈴木】都会のビルの中で働くことだけが仕事ではないと、ある種あきらめさせるのも大学教員の役割になっているように感じます。
いままでは高校の先生がそれをやっていたのですが、ここまで大学進学率の上昇に伴ってとにかく大学に押し込むことが高校の仕事になってしまいました。
ド文系で歴史とか哲学とかやりたい人は、いわゆる「偏差値が高い大学」で研究に取り組むのはいいと思います。でも、他の大多数の人は専門職大学のように、職に結びつく内容を学ばないと10年後、20年後、厳しい現実に直面するのではないでしょうか。
【じゅそうけん】学生の親側も、特に自分が大学を出ていないと、子供には偏差値が高くなくても四大に行ってほしいし、ホワイトカラーっぽいデスクワークをしていたら自慢できる、という思いもあるように感じます。
ただ、「四大ブランド信仰」は、ある一定のところで頭打ちになるんじゃないかと思います。いま日本の大学進学率は6割程度ですけど、韓国も7割ぐらいで止まりました。
僕の地元の愛知県でも、例えば豊田高専なんかは、下手なその辺の大学卒よりいい会社に就職するんですよ。トヨタ自動車とかデンソーとか。
こうした実態も相まって、とりあえず猫も杓子も大学というのはちょっと違うんじゃないか、という流れもそろそろ出てくるのではないでしょうか。
【鈴木】そのためにも、Fラン大学の実態が白日の下にさらされていくことは大事ですね。



