本物の総合学習
宮本とともに『夢見る小学校』を見た瀬川は、映画の中で一番気になった伊那小学校を見学するため伊那を訪れた。そして、対応してくれた教頭先生の言葉に胸を打たれたという。
「子どもにはそれぞれ可能性があります。その可能性を開くきっかけを与えるのが、学校の役割です」
わが意を得たりと思った。そして子どもも「大阪に帰りたくない」と言う。20日間、社員に黙って伊那で仕事をしても気づかれないことを確認すると、伊那への移住を決めた。いわゆる「教育移住」である。
実際に伊那小学校を見学させてもらうと、学校のいたるところでヤギ、ヒツジ、ポニー、ニワトリなどを飼育しているのに驚かされる。なんでも、近くの牧場からレンタルしているそうだが、さらに驚かされるのは、動物のレンタル代や餌代をクラス費から捻出しているということである。
クラス費は保護者が集めてきた空き缶を業者に売却したり、総合学習の時間に作ったオリジナルのピザなどを販売したりして積み立てるという。クラス費を子どもが自ら稼ぐことによって、命の尊さだけでなく、お金の計算の仕方や、商売の仕組みについて、文字通り総合的に学んでいくのである。
伊那に来て知った「社長の本当の仕事」
瀬川は、伊那小学校と関わることが、自身の会社経営に直結していると言う。
「社員の主体性って、経営者が『これぐらいできるだろう』と言えば出てくるものじゃないんです。社員ひとりひとりが、自分の得意不得意に気づく機会を与えられることによって初めて出てくる。そして、ひとりひとり異なる得意不得意がパズルのように組み合わさった多様性の高い組織こそ強い組織であって、経営者がやるべきことは、社員が自分の可能性に気づくきっかけをクリエイトすること、まさに伊那小が実践していることなんです」
瀬川と宮本も、地獄のような苦渋の日々の中でそれぞれの得意不得意に気づき、無意識のうちに組み合わせの妙を磨き上げてきたように、筆者の目には映った。
伊那の地で、子育てと会社経営がクロスしたことによって、瀬川が社員にかける言葉も変化してきたという。
「社員全員がライフステージに合わせて、いろいろな場所で暮らしてほしい。人生を肯定しながら、自由に生きてほしいと願っているんです」
ちなみに、伊那小学校の見学はそもそも今回の取材とは無関係だったが、瀬川からぜひとも案内したいという提案があって実現したものである。
帰りがけには伊那市自慢の産直市場「グリーンファーム」も案内してくれたが、「晴れてたら駒ヶ岳の山頂が見えるんやけどなー」といつまでも残念がっていた瀬川は、けた外れに熱くて、そして濃い人物であった。
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。