身体の浮気か、心の浮気か

多くの人は、その中間です。

「交際相手の行動を拘束すべきではないと思うので、キスをすることや性的関係をもつことなどの、一般的に恋人同士でしかしないこと以外は許せる(①、②、②、④、④)」
「私は、相手に触れてしまったら浮気だなと感じました。二人きりで遊びに行くに関しては気にしませんが、もしそこで手とかつながれていたらすごく嫌です(①、①、①、⑤、⑤)」

このように、身体接触は許さないけれど、食事や遊びは許せる。というより、それは浮気でない、という考え方の人もいます。

「その相手に対して『好き』という感情を抱いていると感じ取れる行動であるかどうかによって、反応が変わるように思った。性的な関係については、その相手に恋愛感情をもっていなければ、気持ち悪いと感じるだけで別れないかもしれない(①、③、④、⑤、④)」
「自ら進んで相手に好かれようとする行動をされたら許せない(①、②、④、⑤、⑤)」

このように、身体接触は別にして、自分以外の相手に「気持ち」が向くことがけしからん、という人もいます。つまり、別の人を好きという感情が湧けば、それが自分に対する裏切りという認識ですね。

2人の若い女と男
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恋人になり結婚することの「二つの意味」

昔のように、異性の友人が交際相手の前段階とすれば、話は簡単です。

あえて言えば、現代は、異性の友人がいてもかまわないという時代だからこそ、さまざまな悩みが生まれているとも言えます。

この悩みは、恋人になり、結婚することに「二つの意味」があることから生じています。

一つは、多数の異性の中から、好きな人を「選ぶ」という意味です。もう一つは、相手と一緒に楽しんだり、性的関係をもったりする、つまり親密な関係になるという意味です(これは、同性愛、両性愛の場合でも一緒です)。

一昔前なら、選択することと親密な関係になることがイコールでした。恋人となり結婚すれば、その人以外と親密な関係になることは許されないという規範が強かったからです。親密な関係を楽しむためには、一人の人を選んで恋人、配偶者にしなければならないことになります。

しかし、現代社会では、恋人や結婚相手を選ぶことと、親密な関係を楽しむことが分離しています。

恋人にならなくても、親しくなってもかまわない、恋人ではないから一人だけを選ぶ必要がない。何人いてもかまわない。となると、恋人や配偶者がいてもいなくても、異性の友人と交際を楽しめる。

では、恋人(配偶者)と異性の友人のどこがどう違うのか。同性の友人と会って楽しい時を過ごすのは問題なく、なぜ、異性の友人と同じことをするのはいけないのか。

それこそ、愛の対象が分散している時代だからこそ、恋人の基準がますますあいまいになっている。複数の相手を選べるからこそ、“選べない”時代になっているのです。

山田 昌弘(やまだ・まさひろ)
中央大学文学部教授

1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった。主著に『パラサイト・シングルの時代』『希望格差社会』(ともに筑摩書房)、『「家族」難民』『底辺への競争』(朝日新聞出版)、『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』(光文社)、『結婚不要社会』『新型格差社会』『パラサイト難婚社会』(すべて朝日新書)など。