母の推し俳優はセクハラ疑惑で命を絶った

お母さんのオッパ(2020.09.17)

テレビが大好きだった幼い頃は、誰かが新しいドラマに出演したり、新しいアルバムの曲を歌ったりするたびに、その人に夢中になっていた。そのたびに母に自慢して、いい気分になった勢いで、母にもお気に入りの芸能人がいるのか尋ねた。母の答えはいつも同じだった。好きな歌手はイ・ムンセ。好きな俳優はチョ・ミンギ。

毎日かけ流しているテレビの音楽番組にイ・ムンセが出演することはほとんどなかったが、チョ・ミンギの姿はいろいろなドラマで目にしていた。母はたまに冗談交じりに「ミンギオッパが出るドラマを観なきゃ」と言った。母が誰かを「オッパ」と呼ぶのが新鮮で、わたしはいつも笑い転げていた。

兄弟姉妹でテレビを見る家族
写真=iStock.com/ATHVisions
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2018年2月、チョ・ミンギが教授として在職していた清州大学演劇映画学科の学生たちにセクハラをしたという疑惑が浮上した。それを機に、数多くの人たちが被害を暴露しはじめると、チョ・ミンギは強硬に対処するとした当初の反応を覆し、謝罪文を発表して過ちを認めた。その後、勇気を出して声を上げた被害者たちを応援し、支持する声が大きくなった。しかし、チョ・ミンギは警察の取り調べを3日後に控えた3月9日、自ら命を絶った。

セクハラについての捜査は、加害者の死亡に伴い「公訴権なし」で終結した。取り調べが始まる前に死を選んだのは、自らの過ちを悔いての選択とは思えない。チョ・ミンギの死は、むしろ加害の最終形態であり、被害者と周りの人たちに、一生消えることのない傷を残した。亡くなる前に、事実と異なる噂や憶測が広がったことに苦しんでいたともいわれている。もしかしたら、それさえもチョ・ミンギが犯した過ちに対する報いかもしれない。本人が苦痛を受けたからといって、被害者の苦しみが消えるわけではない。その世界の王者として君臨していた人物が、自分の地位を利用して他人に与えた苦痛は、何をしようが決して相殺されることはない。その人は、もうこの世にいないから。

わたしはチョ・ミンギをよく知らない。演じる姿を観ていただけだ。セクハラ事件で関心をもったのが最初で最後だ。もちろん、良い意味での「関心」ではない。チョ・ミンギの卑怯な死に憤りを感じたのは、大学生になったばかりの18歳の頃。そのときは、その人にも熱いファンダムがあるとは思わなかった。ところが、母がそのひとりだったのだ。

母は、チョ・ミンギが運営していたホームページ「ミンギ村」の住民だった。つまり、今風にいえば、ファンカフェ(ファン同士が情報を交換する掲示板)の会員というわけだ。好きな人、好きだった人と一緒に輝きながら年を重ねるのではなく、その人に失望し、憎まざるをえないという事実が、とてもやるせない。

オ・セヨン著、桑畑優香訳『成功したオタク日記』(すばる舎)
オ・セヨン著、桑畑優香訳『成功したオタク日記』(すばる舎)

それどころか、憎まれることから逃げるようにこの世を去ってしまったのが、虚しすぎる。

人を見る目は遺伝するのだろうか。母はチョ・ミンギ。

わたしはチョン・ジュニョン。

不思議なことに、チョ・ミンギの死からちょうど1年後の2019年3月、チョン・ジュニョンが性行為映像の違法撮影および動画流布、特殊準強姦などの容疑で検察に拘束・起訴された。推し活に夢中になっていた娘を見て、母はどんな心境だったのだろうか。

オ・セヨン
映画監督

1999年韓国釡山生まれ。2018年韓国芸術総合学校、映像院映画学科入学。大学を休学して制作した映画『成功したオタク』が監督としての長編デビュー作となる。2021年釜山国際映画祭のプレミア上映ではチケットが即完売。大鐘賞映画祭・最優秀ドキュメンタリー賞ノミネート。本国での劇場公開時には2週間で1万人の観客を動員し、「失敗しなかったオタク映画」として注目を集めた。日本では2024年3月30日に公開。

桑畑 優香(くわはた・ゆか )
翻訳家・ライター

早稲田大学第一文学部卒業。1994年から3年間韓国に留学、延世大学語学堂、ソウル大学政治学科で学び、「ニュースステーション」のディレクターを経て独立。映画レビュー、K-POPアーティストの取材などをさまざまな媒体へ寄稿。訳書に『家にいるのに家に帰りたい』(辰巳出版)、『韓国映画100選』(クオン)、『BTSを読む』(柏書房)、『BEYOND THE STORY: 10-YEAR RECORD OF BTS』(新潮社)など。