平安時代、安倍晴明は陰陽師として藤原摂関家や皇族の大いなる信頼を得ていた。晴明についての著作がある祭祀・呪術研究者の斎藤英喜さんは「晴明は巧みに道教や密教を採り入れ、延命長寿をもたらしてくれる冥府の神・泰山府君を祀って、貴族や朝廷から祭事を任された。信心深い当時の人にとって、星や運命を見る陰陽師はなくてはならない存在だった」という――。

※本稿は、斎藤英喜『陰陽師たちの日本史』(角川新書)の一部を再編集したものです。

「不動利益縁起絵巻」に描かれた安倍晴明
「不動利益縁起絵巻」に描かれた安倍晴明、南北朝時代(東京国立博物館蔵)(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム

中国由来の「泰山府君」を延命長寿祈願のため祀った晴明

陰陽師ブームの真っ最中に公開された映画『陰陽師』(監督・滝田洋二郎、原作・夢枕漠)で、安倍晴明が「泰山府君たいざんふくんの法」を使って友人の源博雅を蘇生させるシーンは、野村萬斎演ずる晴明の華麗な舞姿とともに、多くの人びとの印象に残っているだろう。

もちろん、そのシーンはフィクションだが、晴明と「泰山府君」との関係は、三井寺の僧侶・智興のために泰山府君の祭りを執行したという有名なエピソードから知られるように深いものがあった。『今昔物語集』などの説話によれば、師の身代わりを申し出た弟子の証空をも、泰山府君が哀れんで師弟ともども命を延ばしてくれたという。「泰山府君」は、まさしく延命長寿をもたらしてくれる、冥府の神であったわけだ。

泰山府君のルーツは、中国の民間信仰にあった。山東の「泰山」は、古くから山岳信仰の聖地で、「五岳」の筆頭として東方の「東嶽泰山とうがくたいざん」とも呼ばれた。山上には、人間の寿命を支配し、それぞれの寿命を記した帳簿があると信じられた。その山に住むのが、泰山冥府の主宰者たる泰山府君である。ちなみに「府君」とは、漢代では郡を支配する太守の職名である。長寿、富貴、子孫繁栄、出世栄達などの現世利益の信仰の対象とされたようだ。

道長の孫・一条天皇の時代に晴明が泰山府君祭を始めた

だがインドに発生した仏教が中国に伝わるにおよんで、仏教の地獄や閻魔えんま王、閻魔天の思想と交じり合い、泰山府君には、生前に行った善悪にたいする審判や刑罰などの執行者のイメージが付与されていった。ただし仏教(唐代密教)では、冥界の最高神ではなく、人間界の天子にあたる「閻魔王」、尚書令録(総理大臣)としての「泰山府君」、諸尚書(各大臣)の役割をもつ五道神といった、ランクづけがされている(中国文学者・澤田瑞穂氏による)。つまり泰山府君はトップではなかったのである。

そうした信仰が古代日本においては、「泰山府君」を中心におく独特な陰陽道祭祀さいしへと作り替えられていった。そのキーパーソンこそ、安倍晴明にほかならなかった。

平安史料のうえで最初に泰山府君祭が行われたのは、永祚えいそ元年(989)2月11日である。執行者は、いうまでもなく安倍晴明。その経緯を見てみよう。