空を飛ぶ乗り物をつくりたい――。本田技研工業(以下、Honda)は、創業者・本田宗一郎が、バイクよりも自動車よりも先に、飛行機に憧れたことから始まった企業だ。1948年の創業以来数十年、彼が亡くなった後も脈々とその思いは受け継がれ、多くの社員の夢と努力が結実した乗り物、それが小型ビジネスジェット機「HondaJet(ホンダジェット)」である。HondaJetが描く、新たなビジネスモデルについて聞いてきた。

日本の空を飛ぶ、新しい乗り物としての役割

「難しいことは考えずに、とにかく一度HondaJetに乗ってください。この乗り心地を一人でも多くの人に知ってほしいんです」と興奮気味に語る井上大輔新事業開発部主任の言葉に誘われて大分空港に向かうと、ピカピカに光る、洗練されたフォルムの機体にまずは惚れ惚れした。機内に足を踏み入れば、あとはゆったりとした座席に身を委ねるだけ。ジェット機が滑走路を走り始めてゴォーっというエンジン音が響いてくると、自然と胸が高鳴るのである。飛行中は、眼下に広がる街や海、森の景色に感動せずにはいられない。大人になってから、乗り物でこんなにワクワクしたことがあっただろうか?

たとえば節目の年齢を迎えるような誕生日や旅行といったイベントで、HondaJetに乗れたらどうだろう。それが今よりももっと実現可能性の高い選択肢として入ってくるのだとしたら。実は、これこそがHondaがジェット機の開発を始めたときから目指していた社会なのである。

客室は4人の対面型シートのほか、補助席も含めると最大6人乗り。エンジンが翼の上部にあるため、機内の静音性が高い。本記事のインタビューも飛行中に行ったが、声が聞き取りにくいといったことはなかった。

「特別な旅行やビジネスなど、あらゆるシーンで選ばれるようになりたい」と井上氏は構想を語る。とはいえ、制度やインフラなど日本国内での小型ジェット機運用における壁はまだまだ多い。さらにイメージも変えていく必要がある。「HondaJetを新幹線のような手軽さで使ってもらえる存在にしたいという志でサービス設計を始めました(井上氏)」と言うように、一部の人だけでなく、多くの人に開かれた乗り物。それがHondaJetの描くビジネスジェットの民主化の姿だ。

民主化を阻む壁を打破するには、他業とのコラボレーションが必須だと井上氏は話す。「日本にも社会的にニーズがあることを示していきたい。実はさまざまな用途で利用していただける機体であるという事実が伝われば、ビジネスジェットを取り巻く環境は変わってくると思っています」。ビジネスジェット業界全体の法人利用例を見てみると、ある総合商社では複数の地方拠点の効率的な移動に使用しているという。離島への頻繁な医師派遣にビジネスジェットを運航させている医療法人もある。こうした活用事例をさらに増やしたいと井上氏は意気込む。

離陸するHondaJet。コンパクトでありながら流麗なフォルムが気品を感じさせる。実機を前にすれば、誰もが「乗ってみたい!」と感じるような、乗り物としてのかっこよさを追求したスタイルだ。

医師派遣のみならず医療の現場での活用は、車椅子に乗る人をはじめ、患者の体力的な負担も減らせそうだ。空港でのチェックインや移動の手間を省くだけでなく、実際に乗ってみるとわかるが、HondaJetの座席は大型旅客機のビジネスクラスや東海道新幹線のグリーン車のようにゆったりとした座り心地だからである。

さらに社員の移動にビジネスジェットを活用する企業もあるというが、出張の移動手段として広く浸透したら、どんなにいいだろう。目的地の空港へ直行できるので乗り継ぎの手間も省け、待ち時間もカットできる。1日の停止で大きな影響が出るような地方工場へのエンジニア派遣や緊急性の高い部品・サンプル品などのハンドキャリーにも活用できるかもしれない。日本企業の中にはビジネスジェットを贅沢ととらえる風潮もあるが、費用と時間を考慮すれば選択肢に入れるべきケースは十分にある。

地方空港を擁する自治体や民間の旅行事業者、サービス業者と協業することで、これまでに思いもつかなかった用途が生まれる可能性もあるだろう。「多くの人にHondaJetを知ってもらえれば、さまざまなご提案が頂けると思うんです。たとえば、関東への直行便がない離島の朝どれ鮮魚を成田に直送したことがありますが、これも事業者さんのアイデアでした」と井上氏も期待を込める。

グループ企業で、製造からサービスまで一貫した事業を構築できるのが強み

パイロットや整備士など、HondaJetの快適な運航を支えるみなさん。Hondaのグループ会社内で機体製造から運用まで一貫して行うことで、よりフレキシブルなサービス提供が可能になるという。

目下、HondaJetをHondaグループで運航し、さらには空港前後の移動までを一体的に提供するサービスを検討中だ。「既存のチャーターサービスの多くが、価格設定がわかりにくいという問題点を抱えています。お客様の希望する運航条件次第で、関わる企業や費用が複雑に変化するからなんです。Hondaは、グループ内企業の力を集めることで、ここをシンプルにできないかと考えています。つまり、機体の開発・製造はホンダエアクラフトカンパニー、空の運航は本田航空、陸の移動はホンダモビリティソリューションズ、旅行商品やモビリティの手配は旅行業者であるホンダ開発が請け負うといった具合です。これが実現すれば、グループ企業内の擦り合わせにより、たとえば距離別や時間別などの価格設定が可能になりますし、空港前後の移動も一括でフォローできるようになります」(井上氏)。

新事業開発部主任の井上氏。飛行機好きが高じてHondaに入社しただけあり、HondaJetを活用した新たなビジネスモデル構築には格別の思いがある。

また、要望に応じてオーダーメイドで運航する「チャーターフライト」時に発生しがちな無乗客飛行も今後は有効活用したいと井上氏は話す。「たとえば九州に駐機させているHondaJetを長野の松本空港で待つお客様のもとへと向かわせるとします。通常はその間の飛行は無乗客なのですが、その区間の座席を低価格で提供できないかと考えているんです。こんな風に一人でも多くのお客様に乗っていただけるアイデアを練っています」。将来的には手元のスマホからHondaJetの空き時間を検索し、そのまま予約ができるなど、ユーザーにとってより開かれた存在になる日が来るかもしれない。聞けば聞くほど、夢が広がるHondaJet構想。誰もが一生に一度はHondaJetに乗れる世界の実現に、期待がどんどん高まっていく。

ビジネスジェット先進国をめざす意義とは?

アメリカでは「General Aviation(ジェネラル・アビエーション)」が浸透していて、大学生の卒業旅行やビジネスの場でビジネスジェットが頻繁に活用されているという。ジェネラル・アビエーションとは、軍事目的と定期航空路線を除く、航空機のあらゆる活動の総称である。

「アメリカでは、政府間レベルの国際会議はもちろん、大規模なビジネスイベントや大型の商談の際、ビジネスジェットでの移動は珍しいことではありません。通常の旅客機の時刻表では都合がつかない多忙な方の移動を可能にし、セキュリティレベルの高い要人の安全な移動を担保してくれるからです。つまり、ビジネスジェットの活用が広がっていない日本は、要人や著名人を招待する国際的なイベントや商談を行うチャンスを失っているともいえます」と指摘するのは、井上氏とプロジェクトを立ち上げた原寛和氏(現アメリカンホンダモーターカンパニー ヴァイスプレジデント)。

日本にはビジネスジェットの普及に際していくつもの障壁があるが、その一つが制度面である。「たとえば、耐空証明検査です」と、原氏。小型ジェット機の耐空検査には毎年1回、2カ月ほど必要なため、年間に10カ月しか稼働できなくなる。安全の重要性は言うまでもないが、ユーザーの利便性や所有・運航における資産効率を考えると、2カ月近くも使えない影響は少なくないだろう。

駐機できる空港が少ないことも課題だ。「仕事柄、アメリカ中の空港をまわっていますが、ワールドカップやオリンピックなどの大型イベントを控え、各所で投資が活発に行われています。ここでは、定期便の旅客機だけでなく、ビジネスジェットも含めて利便性の向上が図られています。また、主要な航空会社が採用するハブ・アンド・スポーク型の航路の隙間を縫うように、ビジネスジェット専用空港さえあります」(原氏)。

だが、希望もある。国交省はもとより、東京や大阪など主要都市からの直行便が少ない地方空港からも、ビジネスジェットの運用拡大に向けた環境改善の機運を感じると原氏は話す。「滑走路の長さなどの単純な条件だけで言えば、HondaJetが離着陸可能な空港は日本中に80弱あります。そして、こうした空港の多くがある地方自治体も、我々と同じように交流人口を増やしたいと考えている。人が動けば何かが生まれ、社会や経済が活性化するという想いは同じなんですね。HondaJetと我々のサービスが、国内外に新たなつながりを作るきっかけになればと考えています」。