不倫の恋を責める権利があるのは双方の家族だけ
広末涼子の不倫騒動について、ふだん夫婦関係や婚活についてのカウンセリングを行っている私の元にも、「この不倫についてどう思うか?」「彼女はなぜリスクを知りつつ不倫したと思うか?」などなど、たくさんの質問が寄せられております。
この一件については正直なところ、CMの削除、芸能活動無期限謹慎処分、恥ずかしい交換日記をさらされる……等々、既に広末涼子が払った代償は大きく、
「そんなに悪いことをしたん?」
と、該当家族でもない私は思うわけです。責める権利があるのは双方の家族だけなんじゃないかと。子供のケアだけはくれぐれもお願いしたいぐらいで。
ただ、企業ブランド、商品やタレントイメージなどマクロなビジネスにおいてはそうせざるを得ない何かがあるのでしょう。その辺りは専門外なので思考停止で臨み、私の専門領域である「男と女」「夫婦関係」という超ミクロな視点で本件を見るしかないのですが、なんというかもう、検証すればするほど、
「この不倫は彼女にとって必然だった」
という結論にしかたどり着かないんですよね。
「愛されたい」という飢餓感が人一倍強い「愛の胃下垂」
まずはアイドルや女性芸能人が不特定多数のファンから、愛(エロスを含め)を一身に受けるという特殊性について考えてみましたが、見ず知らずの誰かが自分に熱烈に恋をしていて、そんな異性が日本中にいっぱいいるという状態って、我々一般人には想像も及ばない、体験できたとしてもとうてい耐えられない感覚だと思います。
私はそんな彼女たちの受け皿が規格外だと思っています。
例えるなら胃下垂の人が普通の人よりご飯をいっぱい食べられるように、彼女たちも大量の恋心や愛やエロスを受けとれる臓器が内蔵されているというか、「愛の胃下垂」というか。
だから、芸能人として輝ける人というのは、「自分は愛されるに値する存在である」という自意識の器が巨大か、逆に「愛されたい」という飢餓感が人一倍強いかのどちらかではないかと思うのであります。