今ではChatGPTで世界を席巻したOpenAIだが、その価値が社内ではあまり評価されず、プロジェクトが停滞した時期があったと伝えられている。世界第1位の精度を誇る顔認証技術を開発したNECの研究者たちも、似たような苦難の道のりを歩みながらAIの改良を続けてきた。その研究と実用化をリードしてきた今岡仁NECフェローが令和5年春の紫綬褒章を受章した。これまでの歩みを今岡氏が振り返る――。

未経験者が顔認証技術に携わるまで

NECは半世紀にわたり、さまざまな生体認証技術の研究を積み重ね、実用化してきました。とりわけ指紋認証に関しては世界的に高く評価されていました。顔認証の研究に力を入れることになったきっかけは、2001年に発生した米国の同時多発テロです。出入国管理の厳格化にともない、パスポートの顔写真との照合など本人確認で需要が高まるだろうと考えたのです。

NECフェロー 今岡仁さん
NECフェロー 今岡仁さん(撮影=宇佐美雅浩)

私が顔認証の部署に配属されたのは2002年、32歳のときでした。大学院で理論物理を研究した後、NECに入社してからは視覚から脳への情報伝達についての数学的な研究に従事していましたので、顔認証はもちろん画像処理でも門外漢です。しかも、研究者が30歳を過ぎて研究テーマを大きく変えるのは明らかに不利なこと。NECの研究職を続けるならこれが最後のテーマだと考えて、悔いがないようにとことん頑張ろうと決意しました。

そのうち、海外のシステムに採用されるようになるなど、手応えを感じられる成果につながります。かつて顔認証は世界的に精度が低く「三文判」と揶揄されるほどでしたが、改善を繰り返した結果、大幅に認証精度を高められたのです。

10人弱いたメンバーはリーダーと新人の2人だけに

ところが、顔認証の研究を取り巻く状況は悪化していきます。10人弱だったメンバーは徐々に異動で離れていき、とうとう私と新人の2人だけに。その理由をはっきりと聞かされていませんが、なかなか大きな事業に結びつかなかったことや、世界の研究者たちの間で諦めムードが漂い始めていたからではないかと推察しています。例えば指紋認証と組み合わせるなど、顔認証は補助的にしか使えないのではないか、という目で見られるようになっており、参加していた研究会もだんだん人が減っていって寂しさを覚えたものです。

転機が訪れたのは2007年、国内外のNECで顔認証に携わる関係者が一堂に会した際、NIST(米国国立標準技術研究所)が主催するベンチマークに参加してはどうかと声を掛けられました。とても権威があるため、高い評価を得られれば世界中の関係者にNECの名が知れわたり、マーケティング上も有利です。また、NISTのベンチマークが優れていれば、各国の政府調達などでも有利に働く傾向がありました。

しかし、世界を目指すには心もとない体制です。私は顔認証に関わってまだ数年で、もう1人は学生時代に画像処理の経験があるとはいえ新人。自信はありませんでした。一方で、技術的に優位性を示せる状態ではないものの、当時開発していたアルゴリズムを突き詰めれば勝負できそうな期待感もありました。それに、メンバーが多ければ有利だとも限らない。このまま黙って事業縮小を待つより、世界に出ようと決意したのです。