ある老舗の生地メーカーで“これはいける”と直感
「いかにワクワク感を持って“自分だけの一着”をお作りいただくか。これが麻布テーラーのこだわりであり、事業の生命線でもあります。そのため店舗では、お客さまの希望や好みをゆっくり時間をかけてお聞きし、生地やデザイン、ボタンなどを決めていく。一方で年2回、新企画を紹介する展示会を東京で開催し、ブランドとしての考えを発信しています」と川勝氏は言う。
展示会では渾身の力を注いだ新企画に対して予想外の反応が返ってくることもあるが、「何が新しいか、何が格好いいかを決めるのはお客さま。本社のある大阪から出向き、来場者のリアルな声を吸い上げることは広報担当の最も大事な仕事の一つです」(川勝氏)。
そうした声を次なる企画に生かす立場の商品企画担当にとっても現場は大事な仕事場だ。国内外の見本市、生地メーカー、自社の縫製工場など、年間のおよそ3分の1を出張に費やしている上月氏は言う。
「予期せぬアイデアが生まれる。何よりこれが現場に行くことの価値です。ある老舗の生地メーカーを訪問したときのこと。『昔、こんなのがありましたね』とふと出されたのが1960年代に一世を風靡した『キューバビーチ』という素材でした。実際手にしてみると、上品なシャリ感があってすごくいい。聞けば、当時の開発者の方たちが蒸し暑い夏をおしゃれに彩ってもらうために知恵を絞って生み出したとのこと。“これはいける”と直感し、夏のコレクションに取り入れたところ大好評でした」
すでに完成された衣服のように思えるスーツだが、この世界でも日々変革が起こっている。60年近く前の生地がリバイバルされる一方で、近年は機能性を持つ素材への関心も高まっている。
「その中で、私たちが注目したのがスポーツウエアなどに使われるジャージー素材です。これを何とかドレッシーで上質なスーツに仕立てられないか──。そう考えた背景には自身の経験もありました。伸縮性があってシワになりにくいジャージーなら、出張時の持ち運びに便利。別のパンツと合わせて、オフタイムも着回しが可能です。ワーケーションなど新しい働き方が浸透する中、時代が求めるスーツになり得ると思いました」(上月氏)
2016年に誕生した「DRESS JERSEY」は今や麻布テーラーの人気商品。スタイリッシュなのに着心地がいい点が高く支持されている。
着る人の個性を引き出す それにはリアルな場でやりとりするのが一番
このジャージー素材のスーツの開発中、上月氏が繰り返し足を運んだのが自社の縫製工場だ。
「通常の生地と違い、ハリやコシが弱いジャージーは従来の縫製ではスーツにできない。何とか縫いやすいジャージーを海外で見つけてきても、伸縮性があるためサイズが安定しない。そうした課題を工場の責任者や職人と一つ一つ解決していきました。商品企画に当たって企画部門と工場は一体なので、直接会ってやりとりするのは当たり前。オンラインのコミュニケーションも便利ですが、やはり素材に直接触れながら試行錯誤しないと解決策は見いだせません」と上月氏は話す。
麻布テーラーが伝統的なスーツのスタイルを大事にしながらも、固定観念に縛られない提案を行う理由はどこにあるのか。「それは、着る人の個性を最大限引き出したいから」と川勝氏は言う。「そのための引き出しを一つでも多く用意しておくこと。そして、それを全国の店舗や定期的な展示会を通じ、お客さま、メディアの人たちに伝えていくことが私たちの役割です。その意味でも、リアルな場が当社には欠かせない。互いの“熱”を交換するには対面のコミュニケーションが一番だとシンプルに感じます」
柔軟な発想力と長く培われてきた職人の技を武器に、こだわりの「パーソナルオーダースーツ」を展開する麻布テーラー。“人間味”が強みの同ブランドが新たにどんな提案をしてくれるのか、これからも楽しみだ。
Business trip for Innovation─会いに行く、が今日を変えていく─
- "人が集まる場所"には必ずその理由がある。そこで見つけた「面白い」が商品開発のヒントになる
- 現場だから見える課題、聞ける本音がある。そこにお客さまの求める最適解が隠れている
- 栽培のプロの勘や経験と蓄積してきた遺伝資源を掛け合わせることで世界が認める"種"ができる
- 予期せぬアイデアが現場には眠っている。生地に触れ、人と話す、これが欠かせない