世界中の人々が、森や自然に同じような感覚を持っている
――河瀨監督の映画には、山や川など日本の美しい自然や、田舎の人々の営みが多く登場します。そうしたご自身の作品が世界に受け入れられているのはなぜだとお考えですか。
【河瀨】『萌の朱雀』(1997年)でカンヌ映画祭のカメラドール(新人監督賞)をいただいた時は、私自身驚いたんです。なぜ私なのかと。それでフランス人の関係者に聞いてみると「僕は今パリにいるけど、僕にも田舎がある。君の映画のように光が差し、風が吹き、そこには父や母がいる。この感覚は世界共通だ」と言われたんですね。
受賞当時は20代半ばで、まだ世界なんてわからない私でしたが、「そうか、世界中の人々が森や自然に同じような感覚を持っているんだ」と漠然と思ったというのが当時の記憶です。
【北岡】私はあの映画の舞台の近くにある(奈良県吉野郡)吉野町の出身で、祖父、父、弟が代々、吉野町の町長をしているんですが、吉野町は長い歴史の中で培われた伝統文化が深く根差す町です。戦前までは賑やかだったんですが、1970年代頃から経済が衰退し始めまして、人がどんどん近隣の大阪などの大都市に出て行って過疎化が進みました。ところが90年代になるとバブル経済が崩壊して、日本全体が停滞し始めました。一方、吉野町では古いお寺や仏像を大事にしようという文化が続いている。その頃から私が思っているのは、人々にとっては経済とか軍事よりも、その土地に根差す文化のほうが重要なのではないか。それは世界どこでも共通のはずだろう、ということなんです。
「あなたの国に何が必要か、一緒に考えよう」という精神
――国際協力の話に入りましょう。日本は60年以上に亘って世界の開発途上国に政府開発援助(ODA)による国際協力を行ってきました。その独自のモデルが世界から評価されていますが、日本の国際協力にはどのような特徴があるのでしょうか。
【北岡】欧米の援助機関は「aid」や「assistance」など、「支援」を意味する言葉を使います。そこにはどこかチャリティの匂いがするんですね。わかりやすくいうと、「上から目線」なんです。それに比べて日本の国際協力は、「あなたの国に何が必要か、一緒に考えよう」という対等な目線でやっています。相手国との信頼関係を重視する方法で、国際協力機構(JICA)の名前の通り「協力」です。
国民総所得(GNI)に対するODA事業量でいえば北欧諸国、英国、ドイツのほうが日本より大きいですが、この日本のやり方は多くの途上国から支持を得ています。最近になって、フランスなどで「援助」という言葉ではなく「協力」という言葉に変えようという動きもあります。
【河瀨】「協力」という言葉に込めた、日本の理念が世界から評価されているのですね。
【北岡】そうなんです。その理念の中でも今、JICAがとくに大事にしているのが「人間の安全保障」というコンセプトです。安全保障とは普通、国と国の関係で考えるものですが、「人間の安全保障」は国という枠組みを超えてすべての人が恐怖や欠乏から免れ、尊厳をもって生きる権利があるという考え方です。
途上国の人々は堂々と生きる権利があります。彼らに協力するのは我々の義務であり、彼らにはそれを受け取る権利がある。本来はその国の政府がやるべきことですが、国境を越えてでも協力しましょうという考え方でやっています。
この「人間の安全保障」を国内外に広めたのは、JICA理事長の前々任者である緒方貞子氏で、当時は紛争による難民など人道的危機が主な対象でした。近年、気候変動や新型コロナウイルスに代表される感染症など、人々にとっての脅威が多様化しています。また、外国が介入するだけでは解決することが難しいことがわかってきており、その国に住む人々自らが強靭な社会を創っていくために協力するというアプローチに転換する必要があります。こういった背景から、人道的危機だけでなく幅広い課題に対応するように、「人間の安全保障」の考え方をバージョンアップしました。
【河瀨】私は「なら国際映画祭」の企画・運営に携わっています。当初はカンヌ(映画祭)で賞をとった河瀨直美が、大きなイベントをつくって経済効果をもたらしてくれるものと期待していた人も多いと思うんです。でも私は、この町で見過ごされてしまっている(自然や文化、コミュニティなどの)宝物を、次世代を担う子どもたちに発見してもらうシステムをつくる、という地道な取り組みをしているんですね。そこはJICAと考え方が同じだと思いました。
与える側に立たされた者の、手の差し伸べ方というのはとても難しいですよね。もちろん相手に喜んでもらいたい。それで、あれもこれもとなってしまう。けれど、行き過ぎるとその人の自立を奪ってしまうことになります。
あくまで当事者は彼らであることを忘れてはいけない。私は常々、やってあげた側が評価されるのではなく、彼ら自身が命を輝かせたことを世界は評価し、喜ぶべきだと思っているんです。
女性や困っている人へ学ぶ機会を提供する取り組み
【北岡】途上国の発展のためには、もちろん橋や鉄道といったインフラも必要です。でもやっぱり大事なのは人づくりです。「なぜ日本は非西洋なのに近代化を成し遂げ、豊かで自由で民主的な国となったのか、戦後どう復興したのか、教えてほしい」という声は世界各国からあるんです。そこで、日本に学びに来るJICAの留学生に、母国の発展の参考にしてもらえそうな日本の成功例や失敗例を学んでもらおうと、2018年に「JICA開発大学院連携プログラム」を立ち上げました。
日本に来てもらって、日本の魅力を知ってもらって、日本を好きになってもらえば、日本とその人との関係は30年、40年に渡って続きます。JICA留学生の中には、帰国後、政府の要職に就いたり民間企業で活躍したりする方が多く、日本とその方の国との長期的な関係強化にもつながります。
またその一環として、途上国の大学における日本研究の講座設立に協力するプログラム「JICAチェア」(JICA日本研究講座設立支援事業)も開始しました。ビデオ教材や英文書籍、そして日本人の講師による講義を提供して、西洋とは違う日本ならではの近代の開発経験を伝えています。
――河瀨監督は先ほど話題に出た「なら国際映画際」の運営をはじめ、昨年(2021年)にはユネスコ親善大使に就任されました。常に世界とつながりを持ち、各国との文化的な交流や協力の取り組みを行っていますね。
【河瀨】今、準備しているのは、アフリカの女性監督たちを奈良の森の中に招いて、籠ってもらうというワークショップなんです。まったく違う環境で生まれ育った彼女たちに、日本の山間の暮らしを見つめてもらいながら、人を撮ってもいい、文化風習を撮ってもいいということで、過ごしてもらいます。ユネスコ親善大使に就任して最初のプロジェクトとして、今夏に実施できればと思っています。
そのきっかけは、アフリカの映画プロデューサーから「才能あるアフリカの女性の映画監督には世界に進出する機会がないから、(河瀨)直美の撮影現場に参加させてやってほしい」と相談されたことでした。
しかし、協力を受ける側が主役であるべきという私の考えからすると、少しズレている。私の映画の現場に入ってもらっても、結局私のアシスタントでしかありませんから。
そこで彼女たちが主体となって映画をつくる現場をつくったほうがいいと提案して、実現したものなんですね。これは私の「人づくり」なんです。
【北岡】それは興味深い取り組みですね。女性の社会進出といえば、たとえばパキスタンのような国では、イスラム教の考えで、女性は遠くへ行くと危ないから家にいなさいといった理由で、学校にも行けなくなっている女児もたくさんいます。そうした女児を含め、貧困や社会環境、災害、パンデミックなどのさまざまな理由から、義務教育の対象年齢(5~16歳)の子どもや若者のうち、44%にあたる2280万人もが学校に行っていないという実態があります。
そうした状況を受けて、パキスタンでJICAは学校以外の身近な場所で学ぶ機会を提供するノンフォーマル教育の普及に協力しています。女性や困っている人の自己実現につながる協力だと考えています。
スポーツを通じた途上国の平和促進、外国人労働者受け入れに協力
――JICAでは「人間の安全保障」の理念を通じて、スポーツを通じた協力にも取り組んでいますね。
【北岡】南スーダンという紛争が続く国で、日本での国民体育大会に相当する、「国民結束の日」(National Unity Day)の開催に協力しています。国内にはさまざまな部族がいて、互いに固定観念で判断してしまうことで、地域社会間の争いが絶えないのが現状です。
そこで2016年に、全国のさまざまな部族の若者たちが1つの場所に集まり、サッカーや陸上競技といったスポーツ大会を行ったところ、これが大成功した。スポーツを通じて互いを理解し、参加者たちの間に、自分たちは1つの国の国民だという結束が生まれました。
それをきっかけに選手が国際的なスポーツ大会に出たいと強く思うようになりまして、急遽JICAが、南スーダンにとっては初参加の大会となる、2016年のリオデジャネイロ大会への参加に協力しました。すると今度は東京大会にも、ということになった。
そこで群馬県の前橋市が南スーダン選手団の長期合宿をホストしてくれることになり、選手らは2019年の年末に張り切って来日しました。コロナ禍で大会が1年延期になっても、前橋市は引き続き滞在に協力して、無事に出場を果たしました。
【河瀨】南スーダンの選手たちは私も取材をしています。とくに選手団のリーダー格だったグエム・アブラハム選手のことは印象に残っていて、彼は子どもたちに自分の国を誇りに思ってもらいたい、だから自分が走って活躍したいんだと言っていたんですね。東京大会では予選で敗退したものの、その言葉通り、南スーダン記録を出しました。
私は彼を見て、こんなふうに自分の国のことを語れる若者たちが増えることが、その国の未来を輝かしいものにしていくのだろうと実感しました。
【北岡】彼らの奮闘は日本人にも影響を与えましたね。こういう人たちを応援しようという声が起こっています。そうした状況の中で、JICAは今、外国人労働者の受入支援にも力を入れています。
途上国の中には外国に出稼ぎに行った人たちの送金で、なんとか生活しているという家庭がたくさんあって、それがGDP(国内総生産)の1割程度に相当する国がいくつもあります。その観点から見れば、外国人労働者を受け入れることは、彼らの国に対する協力活動でもあります。
JICAの関係者の中には異文化、異言語の人が困ったときに、タガログ語(フィリピン)でもスワヒリ語(ケニア・タンザニアなど)でも、手助けできる能力を持つ人がたくさんいます。一般にJICAというと、海外で協力活動をしている人が多いというイメージがあるかもしれませんが、日本国内で協力活動をしている関係者も結構いるんですよ。
多様性は発展の力だと考えています。異なる文化や言語の方と共に学び合うことで、日本側にも良い影響をもたらしています。
JICAの活動は「日本人の精神性の復興」
――最後になりますが、お二人から、今日の対談の感想と、改めて今こそ日本人が大事にすべきことなどお聞かせください。
【河瀨】今日はぜひお会いしたかった北岡さんとお話ができ、JICAの理念や活動内容について教えていただき、とてもありがたく思っています。
私が奈良の人たちと映画を撮りながら学んだのは、敬虔な気持ちというところなんですね。人間は偉大な自然の前に、一人では生きていけない。
ところが世界はどんどん経済優先の考え方になっていって、人間はすべてをコントロールできると思い上がってしまった。今はとくにコロナ禍で人と距離をつくることが当たり前になったこともあり、人は自然とともに生きていく、という大事なことが忘れられてきています。
しかし昔も今も変わりなく、水がなければ私たちは生きられないし、空気がないと生きられない。もちろん作物も育たなければ、動物も生きられないわけです。その根本のところを忘れてはいけない。
今日お話をうかがって感じたのは、JICAの活動は日本人の精神性の復興でもあるな、ということでした。困っている途上国と対等な立場で手を取り合うJICAの活動は、私たち日本人にとっての誇りであり、心の豊かさにつながるもので、学ばせてもらうことがたくさんありました。本当にありがとうございました。
【北岡】ありがとうございます。私は、日本の政治外交史が専門なんですが、その視点から言えば、日本は戦前、軍事大国になろうとして失敗し、戦後は経済大国になろうとして行き詰った。しかし、日本には明治維新以来の近代化の経験や、日本社会に根差す平等の考え方や文化など、世界に誇れるものが数多くあります。国際協力を通じてこういった日本の得意技を途上国の方にもっと共有していきたいと思っています。
また、現代は、経済の理屈だけでなく、もっと違った形の自然との共生を、今のテクノロジー(科学技術)を前提にしつつ考えていく必要がある。そういう時代に河瀨さんの活躍は貴重で、素晴らしいと思っています。今日はJICAが国際協力を行っていくうえで、大事な視点をもらいました。
河瀨監督の『沙羅双樹』(2003年)のクライマックスで印象的なセリフがありました。それは「人間は輝けるときに輝かなくちゃいけない」という趣旨のセリフなのですが、河瀨さんは今まさにその輝いている時だと思います。今、本当にお忙しいと思いますが、充実した活動を重ねていかれて、できればJICAと途上国が手を取り合って発展していく姿を取り上げていただければうれしいですね。
※本インタビューは、新型コロナウイルス感染症の予防を徹底したうえで行いました。