「立皇嗣の礼」の2つの不審点

先の記事に「『立皇嗣の礼』が行われる4月下旬以降、こうした考えを確認する見通し」とあった。しかし、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響により儀式の挙行が延期され、実際に行われたのは同年11月8日だったことは周知の通り。

改めて振り返ると、この「立皇嗣の礼」については2つの不審点が残っている。

1つは、そもそもこのような前代未聞の儀式を行うべき必然性があったのか、ということ。

もう1つは、この儀式が天皇陛下のご即位に伴う“一連の儀式”と位置づけられたことだ。

これらについては、一般にその奇妙さがほとんど気づかれていないと思うので、少し触れてみたい。

まず「立皇嗣の礼」それ自体の不可解さについて。

これについて考える場合、「皇嗣」と「皇太子」の違いをきちんと整理しておく必要がある。

「皇嗣」と「皇太子」の決定的な違い

「皇嗣」は“(その時点で)皇位継承順位が第一位の皇族”を一般的に意味する。これに対して、その皇嗣が“天皇のお子様(皇子)”である場合、特に「皇太子」という称号をもたれることになる(皇室典範第8条。お孫様なら「皇太孫こうたいそん」)。

具体例をあげて説明しよう。今の天皇陛下の場合、平成時代は「皇太子」でいらっしゃった。上皇陛下(当時は天皇)のお子様で、もちろん皇位継承順位は第1位。だから「皇太子」。皇太子は“次の天皇になられることが確定したお立場”だ。その事実を内外に広く宣明するために行われるのが、近代以降の「立太子りつたいしの礼」である(前近代の場合は、この儀式によって皇太子のお立場が固まった)。ちなみに、天皇陛下の立太子の礼は平成3年(1992年)2月23日、満31歳のお誕生日当日に行われている。上皇陛下の時は昭和27年(1952年)11月10日、「成年式」(加冠かかん)に引き続いて挙行された。

誤解してはならないのは、皇太子の場合、お生まれになった瞬間、又は父宮が即位された瞬間に、次の天皇になられることが「確定」する。儀式はただ、その既定の事実を“宣明”するまでのこと。前近代とは儀式の意味合いが異なっている。

ところが、皇太子・皇太孫つまり「直系の皇嗣」ではない、「傍系の皇嗣」の場合はどうか。儀式の“前”に、すでに皇嗣のお立場になっておられる点では、皇太子と事情は変わらない。しかし、次の天皇になられることが必ずしも“確定していない”という点で、大きく異なっている。これはどういうことか。