「教えるのは男」が常識だった
かつて昭和の時代における自動車教習所といえば、通う身からすれば「粗野で怖い」「暗い」「汚い」などといった負のイメージがつきまとっていた。指導員は男ばかりで、教習を受ける客も多くが男性。まさに男社会そのものだったわけだ。
そこへ一石を投じたのが、いまや業界のリーディングカンパニーを自他共に認めるコヤマドライビングスクールだった。創業は1957年、年商65億5000万円(2018年6月期実績)。
「きっかけは1977年、先代の社長(現・小山甚一会長)が欧米視察旅行の一環で訪れた旧ソ連で、女性がバスや地下鉄の運転手として働いているのを目にしたこと。『これはすごい!』と驚くとともに、『日本もそのうち、そうした職場への女性進出が当然となる時代が来るだろう』と確信したようです」
そう語るのは、同社代表取締役社長の福島清次氏だ。
「だから1986年に男女雇用機会均等法が施行されたのと時を同じくして、当社は業界でいち早く女性インストラクターを採用しました。大型トラックやバスを運転する女性はまず見かけない時代にです。そのような時代に、旧ソ連で目にしたインパクトももちろんありますが、もう1つ、少子化を見通して危機感を抱いていたことがあります。つまり生産人口がどんどん減る時代にそれをカバーするには、女性の社会進出が不可欠と考えていたわけです」
とはいえ、長きにわたって築かれてきた男社会の中に女性が入るのは容易でない。
「当時、教習所のインストラクターといえば男性ばかりだったわけですから、男性インストラクターからは、『俺たちの世界になんで女性が入ってくるんだ?』という強い声が挙がりました。そもそも自動車教習所は、既定の免許行政に基づいて公認の認定業務を行うという世界。保守的な考えがベースにあるんです。そうなると社員も保守的になり『男社会が当たり前』という既定概念を簡単には打ち破れません」
それは男性社員の反抗というより、戸惑いだったのかもしれない。
「実際に初代インストラクターとなった若い女性たちは、大変な苦労をされただろうと思います。口うるさい男性の古株が大勢いましたからね」
状況を打破したのは経営トップの毅然とした態度だった。
「小山会長は社長として、『これからの世の中は男性中心に進むわけじゃないんだ』『女性に活躍してもらわなければいけないんだ』と、とにかく必死で、辛抱強く、丁寧に説得していきました」