この「徒弟方式」では育たない!
世の中からは女性がやる左官の仕事が求められ、仕事はどんどん増えるばかり。なのに社内では必ずしも女性職人の存在が認められない。そんな状況をどう打破するか――。
「だから最初は、女性職人を守る必要性がありました。そこで立ち上げたのが『原田左官レディース』という、女性だけで構成された事業部。一番多い時には、アルバイトも含め15人の女性職人が現場に出るほどに拡大していったのです」
ただ、せっかく新境地を開拓した女性職人たちも、バブル経済の終焉と軌を一にするかのように職場を去っていった。
「華やかな装飾ばかりでは世間から飽きられてしまいます。それに、かつて15人いた女性職人のほとんどは左官をやりたいというより、表現の手段として一風変わった装飾をやりたいという人が多かった。結局、私が入社した2000年には、女性職人は2人にまで減っていました」
当時、せっかく社内の男性職人からも認められる存在になりつつあっただけに、原田社長は「このまま女性職人の可能性をしぼませるのはもったいない」と考えていた。
「会社に新しい視点を持たせてくれたのは、紛れもなく女性職人たち。それまで住宅を手がける地元の工務店から受注する仕事が大半だったのに、商業施設の装飾にまで業務が広がり、誰もが知る有名企業の仕事も請け負うようになったのですから」
そこで原田社長が力を入れたのは、ホームページを通しての情報発信だ。
「たとえば、『当社では女性職人たちの活躍で、こんな成果を生みました』といったことを積極的に発信するようにしました。するとマスコミからも取材の問い合わせが増えます。また、徐々に若者の間ではインターネットから情報を得る文化が根付いていきましたので、当社のホームページに興味を示してくれる人も増えました。ただ、当社が手がける派手な仕事ばかりに目を奪われて入社しても、長続きはしないはず。そこで、実際には泥臭い仕事が多いということも丁寧に説明するようにしたのです。すると女性も男性も、“表現”というよりは“左官”という仕事そのものに興味を持って採用募集に応募してくれる人が増えました」
「左官を一生の仕事にしたくて」「手に職をつけたくて」などと“やる気”を見せる応募者たち。だが、これまで通りの現場任せの人材教育では、すぐに職場を離れるのではないか――、そんな不安も原田社長の頭をよぎっていた。
「従来は、先輩の仕事を『見て覚えろ』というOJTの世界。たまたまいい先輩に付いて、仕事やチャンスに恵まれ、スムーズに一通りの技術を身につけられればいいでしょう。でも一方で、引っ込み思案であるがゆえに、先輩から『掃除をしておけ』と言われればずーっと掃除だけをして、いつまで経っても左官の技術は覚えられない人もいる。つまり、見習い工が習得するスピードやレベルが、どうしてもその時任せになっていたのです」
それに、働く人の意識だって昔とは違う。
「怒鳴られ叩かれしながら仕事を覚えていくという昔ながらの流儀は、今の人たちには馴染みません。やる気はあるのに雰囲気に慣れなくて辞めてしまうというのは、当社にとって損失ではないかと思いました」