かつて「3K職場」という言葉があった。「キツイ、キタナイ、キケン」がそれだ。その典型ともいえるのが、「男の腕っぷし」に委ねられた職人の世界。東京・千駄木にある原田左官工業所は、30年も前から「女性の左官職人」を育成、積極的な活用で業容を拡大させてきた。男性には思いもつかない斬新な発想と技法を、どうやって培い、育み、現場で活かすか。原田宗亮社長がずばり明かす――。

白い漆喰に「口紅」を混ぜる……

男性職人から強く拒絶されたため、女性だけの左官部隊をつくったという原田左官工業所だが、今ではなくてはならない戦力として現場をともにする。

職人の世界には暗黙のルールが数多く存在する。だからこそ、「女性を活用しよう」「見習い工にできるだけ早く基本の技術を教えたい」などと、新たな取り組みをしようものなら、現場での軋轢を生みかねない。

だが、そこをうまく乗り越え、採用活動や女性活用、早期の人材育成、離職率低下につなげてきた企業がある。東京都文京区で大規模店舗から住宅まで広く左官業を営む原田左官工業所だ。創業1949年、売上高は11億円(2018年3月)。同社ではいま、10人の女性左官職人が貴重な戦力として働いている。

「最初から女性に活躍してもらおうと考えていたわけでも、女性ならではのアイデアに期待していたわけでもありません。ただ結果論として、女性の力が会社を変えたんです」

そう経緯を語るのは同社の原田宗亮社長である。

「女性を職人として現場に、という具体的な取り組みが始まったのはおよそ30年前のこと。私はまだ中学生でした」

きっかけは事務スタッフとして働いていた女性の一言だった。

「彼女は大工さんの娘で現場に馴染みがあり、体を動かす仕事が好きだったということもあったのでしょう。職人が社内で左官の見本を作っている様子を横目でチラチラ見ていたかと思ったら、『私もやってみたい』と言い出したそうです」

30年前と言えばバブル華やかなりし頃。建築業界もおおいに活況を呈し、左官の仕事は多忙を極めていた。経営側としては、「掃除でもなんでも手伝うというのなら、一度現場に行かせてみるか」と判断するのに時間はかからなかった。もっとも、始めの頃は漆喰をこねて男性職人の真似をしようとしても、経験がないから技術はとうてい及ばない。

「ところが、彼女は独自のセンスを発揮し始めたのです。それまでなかったような模様をつけたり、白い漆喰の中に口紅やアイシャドウを混ぜて色むらを作ったり。当時は華やかな装飾が好まれていたので、まさに時代にフィットしました。『これは斬新だ!』と評判になり、“女性がやる左官”がもてはやされ始めたのです」

ほどなくして、女性職人の数は一気に増えた。もちろん現場での軋轢が当然のようにあった中での話だ。

「重さが50キロもあるセメント袋をかついで現場で組んだ足場を駆け上がるなんてことがしょっちゅうある、男稼業の極みみたいな世界です。ベテラン職人からは『女と一緒に仕事はできない』とあからさまに言われたこともあったようです」