生きることは作文を書くこと
それは天台宗の僧侶・酒井雄哉(ゆうさい)先生に、初めてお目にかかったときのことでした。
無実の罪で逮捕・拘留された「郵便不正事件」の体験を、自分はどう受け止めればいいのか。そのことを尋ねると、酒井先生はそれまで通り穏やかに笑いながら、こんなふうにおっしゃったんです。
村木さんは仏さんに課題を与えられて、論文を書かせられたんだよ――。
この言葉を聞いて、私は何か納得するような思いを胸に抱きました。
そう、人には誰にでも、人生の中で何かしらの宿題をもらって、自分なりの答えを書かなければならないときがある。そのとき直面した宿題をどう受け止め、何を書こうとするか。生きるということは、一生懸命にその作文を書くことの繰り返しなのだ、と。
私が酒井先生の本に出会ったのは、拘置所で厳しい取り調べを受けていた最中のことでした。友人の差し入れの中に、『一日一生』という一冊があったんです。
取り調べは20日間続くことになっていました。手練手管にたけた検事さんと私では、初めから勝てる戦いではありません。でも、楽になるためにやってもいない罪を決して認めてはいけない。勝てはしなくても負けてはいけない。娘たちにそんな母親の姿を見せてはいけない。そうした思いをひたすら抱えて、私は苦しい時間を戦い抜こうとしていました。