苦境の日本軍に浮上した「捨て身の戦法」

1941(昭和16)年、太平洋戦争がはじまり、次第に戦局が日本側に不利になってくると、1943(昭和18)年6月頃から、人間が操縦する兵器で敵艦や敵機に体当りする捨て身の戦法が海軍の一部で本格的に議論に上るようになっていた。

航空機による体当り攻撃、人間魚雷……さまざまなアイディアが航空本部や軍令部などに上申され、当初はことごとく却下されていたのが、1944年2月17、18日、日本海軍の太平洋の拠点・トラック島が米軍艦上機の大空襲を受け、壊滅したことで潮目が変わる。

2月26日、先の「人間魚雷」の着想が見直され、広島県の呉海軍工廠魚雷実験部で「㊅金物」の秘匿名で極秘裏に試作が始められる。これは魚雷に操縦装置をつけ、人間の操縦で敵艦に体当りするものだった。