受験用に教育された学生ばかりが増える
一方で地方では、そもそも中学受験という選択肢自体が現実的でなかったり、進学塾が限られていたりするケースも多い。結果として、「受験に最適化された人材」が都市部で大量に育ち、その層が全国の難関大学を席巻する構図ができあがっています。
つまり、今起きているのは「個人の努力の差」ではなく、地域と都市の教育構造の差が、そのまま大学の学生構成に反映されているという現象なのです。そしてこの構造が進めば進むほど、大学に集まる学生のバックグラウンドは似通い、価値観も、経験も、世界の見え方も均質化していく。とくに東大についてはその傾向が顕著です。
首都圏で育ち、私立中高一貫校に進み、同じような受験ルートを歩んできた学生が増える。これは学習効率の面では明らかな強みですが、一方で社会の多様な現実に触れる機会が減っているという側面も否定できません。
そのことが、はっきりと表れた例があります。2016年度の東京大学の地理の入試で、「市町村合併が地域社会、とくに山間部にどのような影響を及ぼすか」を問う問題が出題されました。内容自体は、決して奇抜な問題ではありません。
想像力の乏しい東大生
市町村合併はニュースでも繰り返し報じられてきましたし、教科書にも載っているテーマです。地理の基本的な知識を押さえていれば、十分に考察できる問題だったと言っていい。にもかかわらず、この問題には多くの受験生が苦戦したとされる。「難問だったから解けなかった」というよりも、「何が大変なのかがピンと来なかった」というタイプの失点が多かったのです。
たとえば、役所が遠くなる、交通手段が限られる、高齢者が行政サービスにアクセスしづらくなる、といった話は、地方で暮らしていれば日常感覚として理解できます。しかし、都市部で育ち、行政サービスが当たり前に身近にある環境で暮らしてきた人にとっては、その「不便さ」を実感として想像するのが難しい。つまりこれは、知識量の問題ではありません。東大生だからこそ解けてほしかったタイプの問題で、東大生でも「できていない人が多かった」という点が重要なのです。このエピソードは、東大生の能力が低いという話ではありません。


